連続性の陥穽

毎日毎日飽きもせず(誇張)子どもと暮らしているわけだが、成長の実感は案外乏しい。
ちなみに今日初めて出来たことは、かえるのクッションを頭より高い位置の台に置く、だ。
親以外にとってはすごいどうでも良い。正直親だってどうでもよい(失言)


目を離してみれば成長を実感する、とはよく言われる。
でも、わざわざそのためだけに目を離すのはもったいないよね、と思う。可愛いのは今だけなんだし。


私の人生でこれほど観察が継続しているのは初めてだ。
夏休みの朝顔の観察日記なんか植えた次の日から忘れた気がする。多分咲いた花も見ていない。昔からゆっくり確実に進むことに慣れていないのだ。


私だけでなく、多くの人にその傾向があるように思う。
だから、同世代の子やテストなんかの比較対象に簡単に飛びついてしまうのではないだろうか。
自分の観察力の無さを省みることも無いままに。


まあ、今日はたまたま見つけられただけだけれどね。
三歩進んで五歩わき道に逸れることだってしょっちゅうだ。
あと子どもばっかり凝視しているわけにもいかないのだから。


ただ、本人は自分の成長を正しく評価している。親が見ていようと見ていなかろうと。
私が今日の成長だと発見した部分は、もしかしたら昨日のものかもしれないのだ。
さて、かえるクッションがこちらを睨んでいるように思うのは果たして気のせいなのだろうか。