継続はなんとやら

慣性と惰性の違いとはなんだろうか。
例えば毎日1キロ走る人がいたとする。雨の日も風の日も走っていたとする。それは他人から見れば立派な習慣に見えるかもしれないが、本人にしてみれば止めるタイミングがないだけかもしれない。逆に、本人は毎日同じように走っているつもりでも、他人から見ればだらけているように見えるかもしれない。
また、走り始めた時点で考えれば、走ろうと決めたことが最初の加速度にあたるのか、それとも走り続けようと考えた2日目に当たる部分が習慣のための加速度になるのかも悩ましい問題だ。


何故こんなことを考えたかというと、子育てがどこから始まったのかが私にはよくわからないからだ。
出来た時点からなのか、生まれた瞬間からなのか、コミュニケーションが取れ出してからなのか。
さらにいうと、今自分がどの状態にいるのかもよくわからない。
まだ加速中なのか、それとも慣性にまかせているのか。まさか減速はしていないと思うが。
とりあえずのゴールは20年後。いまだ自分の状態も把握できていない。普通に考えればゴールは難しいように感じる。それでも前に進めるのは前例が山ほどあるからにすぎない。それがあるだけで、なんとなく楽観的になれる。


しかし、本当にそうだろうか。
私には何年も飽きずに続いているものなどない。皆はあるのだろうか。
子育てをやったことがないから不安だ、とは思ったことがない。なぜなら、何事もいつだって初めてだ。ただ、20年続けるということは経験したことがない。それが最大の不安だ。経験上3年くらいならなんとか続けられると思うが、おそらく子育ても例に漏れず飽きて止めてしまうのだろう。


そういう人間であることを自覚して、3年ごとで区切る等の対策を講じておく事が現実的に思う。
無根拠に続けられると信じるのは、雨が降るのを天に祈ることに等しい。
いつだって変えられるのは自分だけだし、自分は考え行動した方にしか進まない。
子育てに惰性はない。惰性と感じるならば、それはきっと既に止まっている。