最後から2番目の切り札

子どもがお茶を飲み渋るという状況に遭遇した親は多いと思う。
そして、特に機嫌が悪いわけでもなく、にやにやしながらこちらの様子を窺っているなんてことが大半ではないだろうか。
なんで水分補給くらいで駆け引きをしなきゃいけないのかわからないが、どうやら子どもは容易く切り札を握ったと誤解するらしい。


小賢しい。社会人たる親と駆け引きをしようとは片腹痛いな。こちらにはまだ伏せ札があるのだよ。
お茶飲まなかったらミカン食べさせないもんねー(五十歩五十歩)


この子どもが進んでなにかをやりたがらない時の対応に、子育ての醍醐味があるように感じる。
対応を大別すれば、無視するか、強制するか、自分でやるように仕向けるか。
で、大体の親が自分でやるように仕向けるのだが失敗し、だんだん無視するか強制するようになるのだろう。上手くいかないのは親でもきついし。子どもはもっときついけど。


いまのところは「かんぱーい!」とコップをぶつけるだけで、私に合わせて飲んでくれる。大人というか、おっさんというか。
で、誰の真似かしらないが、飲んだあと「ぷふー」と大きく息をつく。いや、それ炭酸入ってないから。
今日なんかさらに「おいしー」って叫んでた。いやいや、それさっきまでキミが飲むの渋ってたやつだから。


こういうことがあると、次に渋ったらどうしてやろうかと考えてしまう。多分子どもに楽しい子育てをするように仕向けられているのだ。
子どもに無視されたら、きっと育てる気を失くしてしまうのだろうな。だから子どもはその切り札だけは絶対に切ろうとしないのだ。


そう考えればどんなに泣き喚いても多少許せたり許せなかったりしないこともないこともない(許そうよ、そこは)