自立という脅迫

今のところ自立を念頭に子育てしている。
自分のことは自分で。自分の行動には責任を。他の人に迷惑をかけないように。自分のケツは自分で拭け。
基本的なことだと思うが、それだけではちょっと片手落ちな気がする。
だって、絶対に迷惑はかけてしまうものだもの。


最近幾つか子育てのメリット・デメリットに言及してる日記を読んだのだが、老後の面倒について言及しているところが一つもない。
google師父に尋ねてみると、「こどもに老後の面倒は見させない」が「育てたのだから面倒みてよ」をかなり数で上回る印象だった。
自分に置き換えてもそう思う。親の面倒は見るつもりだけど(見れるのかなあ)、面倒を見てもらうつもりはない。いや、なかった。


そりゃ、ころりと死ねれば万々歳だが、そう上手くいかないのが人生だ。
惚けもすれば、動けなくもなろう。長期入院したりもしよう。
家人が居れば良いが、独りだけならどうしようもない。面倒を見てもらわざるを得ない。
だって、自分で死ぬこともできないんだから。意思も確認できない人間の延命装置はなかなか外せないと思うよ。
国が裕福で、私にお金があれば問題ないんだろうが、たぶん私たちの世代の老後はもうそんな状況じゃない気がするのだよな。


子どもに面倒を見てもらわないってことは、うんこのアウトソーシングをするってことだ。少子化や移民なんかの話は、結局うんこのアウトソース先をどこに求めるかということだと思っている。
出したうんこは誰かが始末しないといけない。
ちなみにうちの家に肥溜めはないから、現状だって充分アウトソースしているのである。
あまり実感することはないが、相当幸福度が高いことだと思う。
身近にあると相当きついよ、うんこは。


そういう意味でも子育て重要。具体的に言うとうんこ交換超重要。
自分とこの子のうんこも換えられない人が、親のうんこ換えるとは思えないもの。
だから、うんこ交換もしたこと無い人(男性に多い)が子育てとか福祉についてなんか言ってても信用しない。上澄みだから。


で、そう考えたとき、面倒見てもらわないって本当に立派なことなのって思う。
やりたくないけど誰かがしなくちゃってことなら子どもにケツ拭いてもらうのも悪くはないんじゃないか。
個人的には効率的にケツを拭く装置に突っ込まれても文句はないんだが、まあ人道的に無い話なわけで。生きてる限り、私は絶対に誰かしらに迷惑がかかる存在になる。
まさか、そうなる前に死ねとは言わないよな。予知能力者じゃあるまいし。
そうすると、自立を金科玉条に掲げるのはちょっと不具合があると思う。
うんこに自立して堆肥になれってのは無理だしな。


私のうんこは誰が始末しますか?
私の子どもですか? それともあなたの子どもですか?