ギミギミック

「うれし泣きってしたことあるか?」


立花の質問は突然だった。
放課後、演劇部の部室に男が二人。
いつもの様に本を読んでいた俺は、いつもの様に視線も上げずに、いや、とだけ答えた。


「聞く相手を間違えたよ。お前は俺が死んでも泣くようなやつじゃなかったな」
「それは単にお前が死んでも悲しくないだけだ。自分を過大評価しすぎるな。命日が祝日にならないだけありがたく思え」
「それはやんごとないな」
「それに、俺だって泣くことくらいある」
「例えば?」


立花の質問に俺は本を読むのを止め視線を上げた。
たまには下らない会話に付き合うのも悪くない。ただ、栞は一番前のページに挟んだ。



……しばらく考えてみたがそういえば最近は涙した覚えがなかった。苦し紛れに言葉をつないでみる。


「……玉ねぎとか」
「ぶー、物理的な刺激は認めません。やはりお前は血も涙もない奴だな」


やけに立花が嬉しそうなのが心底腹が立つ。
死なない程度に内臓が捩れればいいのに。


「しかし、なんでまたテーマがうれし泣きなんだ?」


立花は心底落胆したように俺を睨んだ。


「本当にお前は向上心が無いな。役者が感情について考えるのは当たり前のことだろうが」


そうか、そういえばここは演劇部の部室だった。
最近は部員の集まりが悪く、快適な読書スペースくらいにしか思っていなかった。
そんな俺の思いを余所に立花はしゃべり続ける。


「その喜怒哀楽の中でも相反する感情を同時に扱うのは難易度が高い。だからお前に駄目もとで実体験はないのか尋ねてみたのだ。予想通り何の役にも立たなかったがな。なあ、なんで生きてるんだ?」
「他人の記憶がちょっと怪しいくらいで存在意義を否定するな」
「でも、ないんだろう?」


そこまで言われて引き下がるわけにはいかない。無感動・無関心・無神経を自認する俺でも一度や二度のうれし泣きくらいはあるはずだ。例えなかったとしても、この腐れ立花に侮られるのだけは勘弁ならない。
がんばれ、俺の海馬。馬車馬のように働け。なんなら捏造でもかまわないから。


そのときある閃きが舞い降りた。


「あるぞ。うれし泣き」
「ほほう、聞かせてもらおうか」
「生まれた時だ。生まれてすぐ赤ん坊は泣くだろう? この世に生まれ出た喜びを体中で表現する。あれをうれし泣きと言わずして何をうれし泣きと言えようか(反語)」
「生まれた時まで遡らんと無いのか……」


真面目にとるなよ。心が痛いだろうが。
その憐れみの視線を止めろ。


「しかし、本当にあれは喜びの泣き声なのか? 逆に苦しいから泣いてるんじゃないのか?」


立花の疑問はもっともだった。
生物の誕生がいかに奇跡的な確率とはいえ、当事者にとっては苦界に投げ出される行為であることには変わりない。帰宅までの時間の隙間を男と二人きりの部室で読書して潰している自分自身を省みて心底そう思う。
だが、それではあまりにあまりではないか。せめて生まれた瞬間くらい希望を持っていたい。

そんな俺の思いを知ってか知らずか立花は続ける。


「それに生まれた喜びというのなら全ての生物が泣いても良いようなものだが、野生動物は生まれてすぐ鳴いたりしないぞ。外敵に襲われるからな。だから、あれは単なる反射だと思うぞ」
「夢のない奴だな。では逆に聞くが、何故人間の赤ん坊は泣く? 赤ん坊には外が安全かどうかなんてわかりはしないだろう。ちなみに幼形成熟だからってのは無しだ。生まれたばかりの赤ん坊なら知能の程度は動物とどっこいどっこいだろうからな」
「なるほど。生まれてすぐ泣けるのは人間だけの特権ということか。そういう意味ではうれし泣きと言えなくもないな」
「だろう? それから嫌でも悲しくて泣くんだ。最初くらいうれし泣きでもいいじゃないか」
「死ぬときは誰かを悲しませるんだしな」


何気ない立花の言葉から、ある言葉がふとが浮かんだ。
もらい泣き。

俺が死ぬときは誰か泣いてくれるだろうか。仮に、その誰かを俺が見ることができるとしたら、俺はきっと泣いてしまうだろう。

その時の涙は悲しませた申し訳なさ故か、それともうれし泣きか。

輪廻なんてこれっぽっちも信じちゃいないけれど、いつか俺が子どもを持つ日が来たら聞いてみよう。

俺のこの涙はうれし泣きのもらい泣きなのかと。