本日は矛盾せず

楚人に盾と矛とを鬻ぐ者あり。
これを褒め称えて言うには、「この盾の堅きことはこの上なく、貫けるものはない」と。
また、一方の矛を褒め称えて言うには、「この矛の鋭さは類が無い。この世に貫けないものはないほどだ」と。
その時、通りすがりの客が楚人に尋ねた。
「その矛で、そっちの盾を貫こうとしたらどうなる」と。
その問いに楚人は顔を伏せしばらく答えることができなかった。


が、しばらくの沈黙の後、楚人はぼそりと呟いた。
「旦那ァ、本当に見てぇんですかい?」
先ほどまでの陽気な口上とは違う、重く湿った声音だった。
楚人の変わり様に客の男はひどくたじろいだ。
それはそうだ、ちょっとからかってやろうと思っただけなのだから。
しかし、そんな男の思いをよそに楚人は詰め寄ってくる。
「旦那ァ、軽い気持ちでおっしゃったのかもしれやせんがね。こっちにも引けない線てのがありやす。最強の矛と最硬の盾。こりゃあちぃっとばかり値がはりますが、旦那お足はお持ちで?」
すでに他にいた客達は散ってしまっていない。往来には楚人と男だけが残されていた。
楚人のねめつけるような視線に男はすでに腰が引けていた。
蛇に睨まれた蛙のように、一言も発せないまま頭をふるふると横にする。


男のそんな仕草をみやると、楚人は先ほどまでまとっていた気迫をとき、
「ああ、旦那は違いましたか」と一人ごちた。
同時に客の男は緊張から解放され、大きく息を吐いた。
「すいやせんね、旦那。驚かしちまって。残念ながら人違いでしたわ」
「人違い?」
男の質問に楚人は苦笑しながら答えた。
「人違いっちゅうか、不合格っちゅうか、まあそんな感じですわ」
「差し支えなければどういう意味か聞いてもいいかな?」
往来に広げていた物を片付けながら楚人は答える。
「旦那がおっしゃったように、道理に合わないことを指摘するのが第一の試験。あっしの気迫に呑まれないのが第二の試験。で、矛と盾のどちらを選ぶかが第三の試験でしてね。これを通過できる人間を見つけるまでお山に帰れんのですわ」
「神仙の方でいらしたか。これはとんだご無礼を」
慌てて男は楚人に傅いた。
「いやいや、あっしはそんなたいしたもんじゃございやせんよ。名簿の端っこに申し訳程度に載ってるだけで。ただ、こいつは本物中の本物ですがね」
そういって楚人は矛と盾をぺしぺしと叩く。
「だから、本当にこいつらをぶつけ合ったものはおらんです。事象の根源すら歪める宝具ですからな。こいつらは物の道理すら引っ込める。まあ、そんな道理の確認のために宝を無駄にする馬鹿はおらんでしょうがな」
「でも、貴方はそんな馬鹿を求めておられるのでは?」
男の問いに楚人は笑ったまま答えなかった。
「では、もう一つ。その第三の問いはどちらを選べば正解なのですか?」
「さてねぇ、それはこいつらに聞いて下さいや」
楚人が答えると、一際強い風が吹いた。砂埃が晴れるころには楚人の姿は往来のどこにも見当たらなかった。