誰も英雄になれない

「眠い」


帰って寝ろ、と言おうとしたが、自分も本を読んでいるだけで特に部室にいる必要もなく、立花に揚げ足を取られるのは人間としての尊厳に関わるため、いつもの様に返事はしなかった。
そんないつもどおりの部室。演劇部の男が二人。


「しかし、MMOはあれだな。時間泥棒だな。止め時が無いからずるずるとやってしまうな。で、気付いたら五時とか六時で慌てて寝るんだ」


返事はしないが、関係なく話は続く。


「コミュニケーションという概念をRPGに持ち込んだのは素晴らしいな。飽きることが無い。普通のRPGで千時間もやることなんてないぞ。でも、ただちょっとだけなにか違うなって感じることがあるんだよなぁ」
「まあな、MMOはRPGじゃないからな」


しまった。返事をしてしまった。


「どういうことだ?」


仕方ない。俺はディアスポラを置いて説明を始めた。


「そもそもRPGとはなんだ?」
ロールプレイングゲームの略だろう? 役割を演じる遊戯のことだ。ウィッキーさんにもそう記述してある」
「まあ、それが一般的だな。であれば、MMOはやればやるほどRPGから遠ざかることになる。その理由はキャラクタと物語の関係が破綻することによって引き起こされる。時に聞くがネカマしてるか?」
「するか馬鹿。俺は常に前衛重量系のキャラクタしか選ばん」
「貴様の信条は置いておくとして、よく言われるネカマがMMOがRPGでない理由を端的にあらわしてると思う。例えば、ネカマのキャラクタを作るとしてその場合の貴様は女性キャラクタを演ずるのか、それとも女性がゲーム上のキャラクタを演ずるのを演ずるのかどっちだ?」
「・・・・・・前者かな」
「まあ、そう言うだろうがおそらくそれができるのは最初のうちだけだ。MMO世界のキャラクタになりきっている人間は多数派か?」
「それはない」
「だろう? アイテムのトレードやら、ミッションの選択やらで現実にかならず引き戻されるからな。現実に生きてる人間であるという余白を残しておかないと、仲間もできない。

で、ここで問題なのはその余白は現実の自分の人格と一致するのかどうかという問題だ。さっきはネカマの例を出したが、俺は誰もが多かれ少なかれネット用の人格を作っているのではないかと思う。それは現実でも人によって話し方を変えるのと同様の機能で、作られた人格云々の問題じゃない。ただ、このペルソナ2枚重ねが非常に厄介なのは演劇部ならわかるだろう?」
「ああ、ハムレットの役をする演劇部の部員の役ってことだな。確かにそれはかなり考えてやらないと難しいな」
「それにやればやるほど世界観に関係ないコミュニケーションが増えるからな。構造上世界観に入り込み続けるのは難しい。されに2重ペルソナ問題がある。ドラクエのようにはいかんよ」
ドラクエも次はネットワーク対応らしいがな」
「それでも、ドラクエはMMOにはしないだろ。製作者に信念があると思うぞ。というかなけりゃあのシナリオ量は無理だ。まあ、そのシナリオの無さがMMO最大の欠点だと思うが」
「有名どころのは無限に新しいシナリオが出そうじゃないか」
「無限にシナリオが出たところで、世界が救えないのならそれはRPGとしては不完全だよ。世界を救う必要はないかもしれないが、少なくとも物語の幕は降ろさなきゃいけない。終わりの無い芝居は、それは芝居じゃなく単なる現実だ。MMOは誰もが物語の参加者になれるかわりに、誰も真の英雄、世界に平和をもたらし物語を終わらせる役割を持てない。
商売上の問題でもあるけどな。エンディングまで行ったら一度強制退会ってのが俺はいいと思うが間違いなく炎上するだろうし」
「そして、物語は終わらないまま流行が廃れ、人がいなくなって、世界は閉じられてしまうのだな。費やした時間も、愛着も関係なく。救いの無い話だ」


俺は想像する。
その閉鎖され、滅びゆく世界に立ち向かう一人の英雄を。
もし奇跡が起き、世界を救えたとしたら、それがMMOにおける真のエンディングなのではないかと。
そして、新しい世界が始まる。