あるいは桜の樹の上には

桜の樹の下には屍体が埋まっているのだ、と誰かが言った。
確かに当たり年も関係なく毎年咲き誇る桜を見ていると、それも至極当然に思えてくる。


満開に咲き誇るそばから散りゆく桜。
この相反する性質が共存する様が人のこころをざわつかせるのだろう。
かつて見た誰かの幻視は時代を越えて、私に乗り移る。
それほどまでに桜は美しく、艶かしい。


私が初めてその話を読んだのは高校生のころだったかろうか。
鮮やかな映像に震えるとともに、ひどく腑に落ちたのを覚えている。
それから数日の間は、桜の樹の下を通ることができなかった。
今から思えば純情な話だと笑えるが、当時はとにかく真剣に怖かった。
学校の授業も上の空で、本当に埋まっているだろうか、とか、樹の下の屍体は痛くないんだろうか、などと考えてばかりいた気がする。


そして、戦慄と恐怖が私のこころから消え去ったある日。
私がおこなったのは桜の樹の下を掘ることだった。
満開だった桜はとっくに散り、青々とした葉を茂らせていて花見の客はもういない。
それでもシャベルを持ち家を出る時間を深夜にしたのは、人の目が恥ずかしかったのか、怒られると思ったのか。
それとも何か、そう、数日前に幻視した何かを見つけることができると思ったのかもしれない。


家の近所の小学校にある桜並木。
その中でも特に枝振りのいい樹を選んで私は地面を掘りだした。
近くには小さい街灯がひとつあるばかりで、月明かりがなければ手元もおぼつかない。
実際、葉桜が重なるところは真っ暗で何も見えなかった。
下から桜の樹を見上げると、月の光さえ通さない漆黒が広がるだけだった。
屍体なんてあるはずもない、そう思いながらも私は期待に胸躍らせ、ただただ掘り進めた。
夜に響く音は私のかすかな息づかいと、さらさらとそよぐ葉桜。
時折、揺れる枝にあわせて月の光が木漏れいだ。
あとはシャベルが土をこする音だけが、断続的に続いていた。


50センチほどの穴ができたころ、

カツン

シャベルの先に何か硬いものがあたった。
思わず息がとまる。
しんとした闇の中、私は地面にひざをつき、そっと土をかきわけた。
何か、なにかある。
私は土をかきわけ続けた。できる限りの速さで、ただし、大きな音を立てずに。
何が、なにがある。


私の息が続かなくなるころ、埋まっていたものの正体がわかった。
それは6年3組と大書された大きなプラスティックの箱だった。
俗に言うタイムカプセルというやつだ。
まだ、新しいことからここ最近で埋められたものだとわかった。
落胆と疲労が同時に私を襲った。思わず地面に座り込みため息をついてしまう。
じっとりと汗ばんだ体にシャツが張り付く。風さえなく、気持ちの悪さが数倍にも感じられる。
見上げた空には満月。それと、夜より暗い桜の樹の下の深い闇。


私は重い腰をあげると作った穴を埋めはじめた。
何が入っているのか好奇心はあったが、後輩の思い出を壊すのは本意ではない。
せいぜい掘り返したのがばれないようにしっかり埋め戻しておくことにしよう。
残念ながら桜の樹の下にはなにもなかったのだ。
桜の樹の下には


後日、何十回目かの高校の同窓会だったある日、私が桜の樹の下を掘ったその日に小学生が一人行方不明になっていたことを知った。
同時に私の次の次の学年以降、少子化の影響で3クラスの学年は存在しなかったことも。



桜の樹の下には屍体が埋まっている。
その屍体はどこからきて、誰が埋めたのかもわからないけれど。