うまい話には裏があると人は言う。
だから、怪しい儲け話にはのってはいけない、と。
では、逆に危険と見返りが明確でさえあれば怪しい儲け話にのっても構わないというのだろうか?
例えば死体置き場の管理人、例えば新薬の実験、何だかよく分からないものを預かるだけの仕事もある。
逆に言えば危険が少ないと見込んでいても、最悪の場合は往々にして起こるものだ。
つい最近株やらなにやらで、痛い目をみた人も多いことだろう。
とにかく人はたぶんそうだろうという思い込みでリスクを推し量っているに過ぎない。
そして、自分だけはそうはならないと思い込んでいる。
でなければ、スポーツ新聞の白黒広告欄があんなにいかがわしい募集で埋まるはずがないのだ。



あるところに金の無い若い男が居た。
どれくらい無いかと言えば、定宿などなく一昨日泊まったネットカフェで飲んだコーラ以降何も口にしていない有様だった。特に何か夢がある訳でもなければ、やむにやまれぬ事情で貧しいわけでもない。
金はあればあるだけよいし、働きもせずに手に入ればこの上ないと考えている有象無象の一人であった。
男は街の裏通りをあてもなく歩いていた。もうすでに所持金はネットカフェに泊まるには厳しい額になっていた。
ゴミ袋をあさる鴉たちがすぐ先の自分を暗示しているようで余計にイライラする。
先ほど行ったアルバイトの面接で、めでたく3連敗。深夜のコンビニくらいなら楽に決まるだろうと思っていたが見込みは甘かったようだ。


「顔つきが悪いだぁ。ふざけやがって……」


正確には笑顔が不気味に見えると言われたのだが、どちらにしろ面白くないことには違いが無い。この不況のご時勢、辛気臭い顔というのは客商売に限らず嫌われる。良く見もせずに突き返された履歴書には無愛想と貧相が仲良く手を繋いでいる写真がのっかっていた。


「生まれた時からこの顔だっつうのっ!」


男の蹴ったゴミ袋に驚き、鴉が一斉に舞い上がった。それと同時に彼らが掴んでいたごみまでも。
上空から襲い掛かる生ごみは狙いあやまたず男に当たった。ねっとりとした感触が髪の毛を伝い頭皮に触れる。
しかも、さらに笑えることに新聞までもが男の頭にくっついた。


「……は、はは、は……」


見事に最悪である。因果応報ここに極まれり。
男はゆっくりと粘つく新聞をはがすと、地面に座り込んだ。目は死に、顔に生気はない。
額から垂れるごみの汁をぬぐう様子もなく、じっとうなだれたままだった。
ああ、いよいよ死ぬのだなと思っていたらそうではない。男の視線は先ほど剥がした新聞の三行広告に注がれていた。
新聞にはこう書いてある。


『表情買います 高額買取実施中 5,000円〜 tel:03-1101-**** 面鬼堂』


怪しい。あからさまに怪しい。しかし、もう男の目には5,000円の文字しか映っていなかった。
明日の命も危ういのだ。これ以上どんなリスクがあるというのだ。それに、どうせいたずらの類だろう。冗談だったら思いっきりキレてやる。男はそんなことを思いながら無表情のまま携帯のナンバーを押していった。


「はい、こちら面鬼堂」


3コール目で聞こえたのはしわがれた婆さんの声だった。


「新聞をみたんだけど」


以外に普通の対応にめんくらいながらも、男は話を進めていく。


「毎度ありがとうございます。で、どんな表情を売ってくれるんで?」
「なんでもいいのか?」
「なんでもようございます。ただ、値段は表情によりけりですがね」
「じゃあ、この不機嫌そうなツラを売ってやる。あとはそうだな、怒りと無表情もだ」


男はそう答えながら、どこで怒鳴ってやろうか、とそればかり考えていた。
しかし、老婆の答えは男の予想を裏切った。

「へえへえ、ようござんす。そちらですと合わせて30万になりますな」
「さ、さんじゅうまんっ!?」


あまりの金額に男の声が裏返る。


「お、お前、三十万っつたら、あ、あの三十万だぞ?」
「へえ、その三十万ですなあ」


男の狼狽振りにも老婆は驚く様子も無い。
淡々と商談を続けていく。


「よろしければ、今からいうメールアドレスにお名前とお売りいただける表情をお送り下さいまし。確認ができましたらそちらに振込みさせていただきます。現金がよろしければ駅のロッカーなりに入れさして頂きますが?」
「げ、現金がいい。現金でお願いします」
「へえへえ、わかりました。では、メールをお願いします」


老婆が言ったメールアドレスにメールを送ると、30分後には駅のロッカーの番号と4桁の番号が送られてきた。
半信半疑で行くと、果たしてロッカーの中には鍵の付いた小さな箱があり、それをあけると本当に30万があった。
思わぬ幸運のおかげで男に笑みがこぼれる。にんまりとした笑みはいつまでも崩れることは無かった。


さて、それからの男は懐に余裕ができたせいもあってか、スーパーのアルバイトにありつくことができた。しばらく働いていると、そこの社長に妙に気に入られて社員にまでしてもらった。客が苦情を言いに来ても、いつも笑顔なのが特に良いとのことらしい。
男自身表情を売ってから人生が変わったと感じていた。確かに腹が立ったときに怒りの表情が出せないと、頬の辺りが激しく痛む。ただ、それでもニコニコしていると不思議と怒りも収まってくるのだった。
辛いときこそ笑え、という先人の教えには真理があるのだな、などとしみじみと感じている今日この頃である。


そんな男には最近気になる女性がいた。同じ職場の子であるが、いつもころころと笑っていて辛そうな表情を見せた
ことがない。男の他愛の無い冗談でも、声を立てて笑ってくれる。
男が今度映画に行こうと誘ったら二つ返事でOKをした。どうやら脈が無い訳ではないらしい。
ただ、男と彼女はどうやら趣味が合わないようだ。
彼女はコメディしか見ないとのことだった。