寝顔が好きになる

家人と娘たちが並んで寝ているのを眺めるだけで幸せである。
娘1はすんげえいびきかいてたけど。


この幸せ感の源泉がよくわからない。
まず間違いなく寝顔を見る趣味なんてなかった。人間変わるものだ。


子どもができてからというもの、子どもがひどい目にあう映画とかが辛くてしかたない。小説はそうでもないのだが、映像はきつくなった。
虚構と現実の区別はついているつもりだったのだが、勘違いだったようだ。


だからといって虚構の表現を規制しろなんて言うつもりはないけれど、状況によっては区別がつかなくなる。
思考も嗜好も立ち位置で簡単に変わるらしい。
では、そんな中でいったいどうやって表現の幅を調停していけばよいのだろうか。
「見ない」という選択(と成果)が簡単であれば良いのだろうが、どれだけゾーニングしたところで出会い頭の事故っていうのは避けられないものだしなあ。


まあ、本棚にシグルイがある人間が言えたことではないが(見えない位置に隠しつつ)
小学校高学年くらいからかな。あえて読ましたりはしないけれど、勝手に事故る分についてはしょうがないとも思ってみたり。
虐待扱いになったりするのかねえ。