誓いの価値は儚き

本日ピアノ教室に見学に行った娘1。なかなか楽しかった様子。
家人に促され、私に話があると近付いてきた。
ピアノ教室への通学は、もちろん了承する気満点なのだがやっぱりこういう儀式ってのは大切だ。なんとはなしで始めてしまえば、辞めるときもなんとはなしになる。挫折はきちんと苦さを覚えないといけない。


「とーちゃん、今日なあ」
もじもじと話し始める娘1。可愛らしいなあ。
「幼稚園でな、青組の先生に落ち葉あげた」
「!」
「あと、園長せんせにもあげた。チョコレート味」
「!!(チョコレート味の落ち葉ってどういうこと)」
・・・・・・とーちゃん、二の句が告げんわ。


その後、娘1は家人と作戦会議したのち、きちんとピアノ教室への通学意思を伝えてくれた。
自分から行くと言ったのだから、いやだとか泣き言を言わないことを約束して指きりげんまん。
でも、この約束はきっと破られる。
愉快に楽しくずっと通い続けるなんて、子どもには無理だもの。それこそピアノに愛された人間でもないと。


ただ、約束が守れなくなったときにこそ、この約束には価値が出る。
破られるための約束ってのもなんだかな、とは思うけれども。