なんでもない日、おめでとう

ケーキを買って帰ったら子どもがきょとんとしていた。
「とーちゃんのたんじょうび だから」
違います。別になんの記念日でもない。ちょっと家人の調子が悪かったくらい。
でも、だからケーキを買う。理由はいらない。


上記のコピーのすごさを実感した。
このコピーがあれば、何でもなさを恐れることなくケーキだって買える。
まあ、浪費と隣り合わせではあるのだけれど。


ぶどうのタルトに一瞬にして心奪われた我が子。
「こえ これだよ こえ たべる」
あげるともなんとも言っとらんのだがなあ。だが、主張するのは良い事だ。
しかし、私の手元を凝視しながら、
「それ なあに?」
と問うのは反則だ。知ってるだろ、十全に。
順調に搦め手を覚え出したなあ。


下の子が大きくなったらどのような争いを繰り広げるのか楽しみでならない。
上の子だからと我慢を強いるつもりはないので、暴力以外の方法でがんばって調整していただきたい。
ちなみに同じものを買うつもりもない。
流血騒ぎになったら心が折れて宗旨替えするかもしれないけれど。
自分で「分け合う」を発見できたら上出来だな。


特別な日と普通の日の間に、なだらかな丘があっても良い。
それは特別を損なう事ではないと思うから。
うまいこと日々の幸せ度を制御して、いつか特別な日にたどり着きたいものである。