できることなら代わってやりたい

残念ながら今まで一度もそのように思ったことがない。


現在も上の子が咳と鼻水で苦しんでいるが、正直に言えば代わってやろうとかそういった感情が湧かない。
苦しいから辛そうだ。かわいそう、とは思う。しかし、代わってやれるものでもないしな、と冷めている。
こういうことが良くあるので、私は人の心を持ち合わせていないのだろうかと不思議に思うことが多い。
悲しくはない。不思議なだけだ。


下記のブログを読んでいる。
http://nonono7.blog12.fc2.com/
たいへんに心がざわざわする。下世話な言い方をすると興味が尽きない。
ここまで生きづらくはないので、私のは思いやりが足りないに分類されるのだろう。
しかし、生きづらさに共感できるような気もする。この人にすればそれもまた個人の幻想に過ぎないのだろうけれど。


思いやりが足りなくても側にはいてやれる。
吐瀉物を始末し、鼻を吸ってやることはできる(にゅるっときて、うえってなるけど)
責任感かと問われると、ちょっと違う気がする。責任感をもってやってる仕事の場合は不満と愚痴がたっぷりと出るし。


大きな感動もなにもなく、ただ淡々とこなす。それも愛情の発露かもしれない。
感情が行為を変えているのだから。