怒らない生活

家人と相談の結果、ちょっと上の子を怒り過ぎとの合意を得て、グレーゾーンの拡大を図ることに。
おかげで本日は子どもがあまり泣くことなく(それでも一回泣いたが)、気持ちの良い一日だった。受け入れられないってことが子どもにどれだけストレスを与えていたかを自覚。どんなに理不尽なことでも否定しちゃいけないのだな。
曖昧って素晴らしいと再認識。


ルールは簡単。
こちらのスケジュールを強制しないことのみ。
例えばご飯を食べる時間になったとき、まだ遊びたいと主張するようなら遊ばせる。
親は先に食べ始めるが、放置せずきちんと反応する。
極端に言うと今までは強制的に席に着かせるか、食べないことに怒って放置していた。もちろん直ぐ執行していたわけではないが、結局はそうだった。
当然子どもの機嫌は悪化し、その後の活動にも影響を及ぼす。


なので、グレーゾーンを極限まで拡大する運用を心がけた。相手は獣。日本語はわかるが理解しない。怒っても無意味。三歩進んで二歩下がった上で道草するんだから。最終的に結果が出ればよい、と。
すると驚くほど怒らずにすんだ。
ああ、地獄に足を踏み入れかけてたんだなと自覚する。
知らない間に了見が狭く狭くなっていた。


平日もこれができるかというと難しくはある。
私に仕事があるし、家人一人ではゆとりをもって二人を見られない(例えばうんこは順番を守らない。平気で同時テロを敢行する。本当にクソだ)
例え一日中家に居る日だって、スケジュールは無いようで存在する。
イライラし始めると後は悪循環を断ち切る術がない。放棄か過干渉かの二択。どちらも地獄行きだ。


とりあえず今回は自覚できた。
次回自覚できるかはわからない。ただ次回は絶対にある。
放っておけばグレーゾーンはどんどん狭くなるものだからだ。それは子育てに限らず人間関係全てにおいて。
どっちでも良かったことが、無意識に許せるか許せないかに分類され、ストレスとして積もる。
それは慣れという最適化に伴う絶対の仕様だ。逃げられない。
そして、許せなくなったことはどちらでも良いには決して戻らない。
ならばできることは判断する瞬間を極限まで遅らせるよう意識することだけだ。
許せないことと許さないことは違う。
許せなくてもダメだしする瞬間を無限遠まで放り投げれば、行為自体は許すのとかわりない。
まあ、その間に子どもがご飯を食べ始めてくれないと意味はないのだが。
しかし、それくらいは自分の子を信頼しても良いと思う。
だってうちの子良い子だし(長文の上親バカエンド)