自由の価値

子どもが居なくなって自由を得たわけだけれど、全くもって気ままになれない。
もちろん束縛もなく、遅くまでネットしていても怒られず、朝6時に蹴られることもないわけで、物理的には自由なわけだがどうにも心が自由にならない。


いや、四六時中子どものことを考えているわけではない。むしろ完全に忘れているといってもよい。
しかし、家に帰るときになると思い出すのだ。寂しい食卓を。
以前だって晩御飯は独りで食べていた(子どもは5時半に食べ始めるので)
今は実家で親と食べている。むしろ食卓を囲む人数は増えた。寂しいわけがない。
なのに不在をありありと感じてしまう。
なのにこの不自由を不快に思っていない自分が居る。
私の心とは面白いものだなあ。


たぶん、そんなときは親に泣き付くのが正しいのだろう。
きっと「そうだろ、寂しいだろ」って言うに違いない。
親を停職している今は、子どもの自由を出来る限り行使してみようと思う。