衰えと時間認識

今朝、しぼんだ風船を見て大層驚いていた。
何度も「ちっちゃっ!」って言ってた。うん、知ってる。
ホウレンソウの報告だけは優秀だな。あとホウレンソウを食べるのも優秀だが。


風船が破裂するところは何度か見ているので、壊れるという認識はあるはずだ。
私がはしを落としたら「あーあっ」とか言うくらいだし。
時間の概念もまだまだ未成熟だから、おそらく衰えるというのが良くわからないのだろう。
子どもの中では、夜中に誰かが風船を小さくしにダンボールハウスに忍び込んだことになっているに違いない(無益な嫌がらせにも程があるだろうよ)


しかし、私自身、本当に衰えを認識できているのだろうか。
もちろん空気が抜けたり、食べ物が腐ったりすることは理解している。そして、腐りかけは美味しい(柿除く)
走ればすぐに息があがるし、冬場の肌はかさかさだ。
ただ、それは衰えを観測しているだけに過ぎない。物的証拠に無理矢理納得させられているだけで、今まさに衰えつつある自分を認識できてはいない。


きっと死ぬまで自覚できないのだろう。まあ、ある意味幸せなのかもしれないが。
いつかしぼんだ私を見て、子どもは大層驚くのだろう。
たとえ時間の概念を備えたとしても、人は、自分の時間だけは無限にあると思うものだから。