楽しさの理由

飽きもせずゲラゲラと子育てを続けられる理由について考えてみた。
もちろん私の徳の高さが主な要因であることには論を俟たないわけだが(突っ込み待ち)、飽きっぽさだってかなり高品質の折り紙がついている。
正直なところ、もう少し嫌になっているだろうと予想していたのだが、案外気持ちに変化なく、日々の貴重な時間を子どもとのお遊戯に全てぶちこめている(あ、何か滲んだ)


おそらく子どもの反応が良いからだと思う。
反応が良いというよりも、ヨロコビのハードルが低いと表現すべきか。


今朝も「背後取りごっこ*1でゲラゲラ笑っていた。
終いに親子3人が独楽みたいにグルグル回っていた。さすがに親は知能があるので、最後に反対回りするのを忘れなかったけれど(そういう問題か)


さすがにいい大人はこんなことで喜んではくれない(家人はいい大人ではない)
でも、子どもならこんなことでも十分喜んでくれる。その反応の良さ、ハードルの低さが育児を楽しく続けられる理由の一つなのだと思う。


ただ、近いうちに喜んでくれなくなるのは確実だ。
また、仕事で作ってるテレビやゲームに、親の即興芸が娯楽性で勝てるとは思えない。
残念ながらいつか冷たい目で見られる瞬間がくる。
きっとその日から私は子育てを今のようには楽しいと思えなくなるだろう。
その日までに、私は用意しておかなくてはいけない。
冷たい目に耐える覚悟か、放棄するための言い訳を。


まあ、まずは家人の寒いギャグを氷点下の視線で見つめるのをやめるとしようか。真似されると困るし。

*1:子どもに見えないよう、常に子どもの背後を取り続ける遊び。バトル漫画でありがち。最終的にアホな犬が自分の尻尾をくわえようとするが如くグルグル回り続ける。移動距離的に親が大変不利なので注意しよう