ふたり

何かをすると、例えば服を脱いだりできると、すぐに褒めて褒めてとどや顔をする。
手をぺちぺちと打ち鳴らして拍手を強要したりもする。
で、その時、ほぼ確実にするのが、もう一人の親を探すこと。
どうしても、二人ともに褒めてもらいたいらしい。


面白いことに、居ないとわかっていると探さない。
褒めてくれるという確信の元に、どや顔で待機しているのだ(主にはだかで)


こんなとき、もう片親にはなれないな、と心から思う。
昔は最悪一人でもなんとかなるだろうと高を括っていたが、やくざ顔負けの要求の理不尽さと(だからどしゃぶってるから外にでれねっつーの!)、コールセンターも閉鎖するほどのクレームの多さを経験した今では、強がることすら心が拒否する。
そういう実際的なことが理由のほとんどではあるのだけれど、こうも二人で一つ的な認識をされると、今更期待を裏切るわけにもいかないな、という気分になる。


別に片親が悪いとか言いたい訳ではない。
きっと最初からなら大丈夫だったろうし、子どもだってそんなものかと思ったかもしれない。
ただ、今はだから我慢するとか、子どものためにとかいう意味でなく、親ってワンセットだと感じる。


今まで信じてきた私という個人を、あっさりと無視してしまう、そんな扱いがとても新鮮で面白い。
いやはや、家族までの道はまだまだ遠いなあ(詠嘆)