世界の肩車から

いつまでたっても肩車が大好きだ。
最近は良く足をピコピコと振り回すので、たまに良いのが顔面に入る。
乗物は大事に扱わないと故障するのだよ? あと、よだれはオイルを注したうちには入らないからね。


どうやら壁に掛けてある時計に興味津々のご様子。
アナログなので動いている秒針が気になるらしい。
最初は触らずに見ているだけだったが、近頃は手を伸ばして触ろうとする。ガラスがあるから触れることはできないのだけれど。


まだまだ家の中にさえ未知の物がある。
自力で立てるようになれば、それらもどんどん知っていくのだろう。
立場が人を作るのだな、と実感(違う)


当たり前だけれど、肩車をしてる間は私よりも子供の方が視点が高い。
その数十センチの差を私は当たり前のように既に知っているように振舞っている。本当は見たことがないのに。


視点の高さが時計の不思議を見つけるのではない。
いつも下から眺めていた悔しさや憧れが、その瞳に秒針の不思議を見せるのだ。
漫然と世界中を旅をしたところで、子供の頃の発見に比肩するものを見つけるのは難しいだろう。
私の身長はもう伸びることはないから、この数十センチの差は埋まらない。
でも、誰かに肩車してもらったら天井に頭ぶつけるしなあ。