祭りの価値

今日は地元のお祭り。
小さいながらも盛況で、獅子や奴が出る。
今朝、地回りでうちのところにも来た。もちろん子供にとっては初めての獅子舞。
おびえて泣き出すかと思ったが、特に泣きもせず、寧ろ音の大きさの方にびっくりした様子だった。きっとなんだかよく分かっていないに違いない。
頭を噛まれるときも不思議そうな顔をしていた。


しかし、頭を噛まれてお礼をするというのは字面だけ見たら変な話だ。噛まれると魔除になるというのも不思議。霊験あらたかな神獣なら、もう少し痛くない方法もあるだろうに。もしくは、先に悪いことが起こっていればそれ以降は起こらないというバランス理論的発想なのだろうか。なんにせよ謎である。
このように噛んでいる方も噛まれている方も縁起も理由も知らない。おそらく数十年後にはこの行為の意味すらわからないに違いない。


だから、無意味だ無価値だと言いたいわけではない。やりたい人がやりたいようにやればそれでよい。できることなら協力もしよう。ただ、無理やり残す必要性は感じない。
廃れたら廃れたで仕方がないな、と思う余裕が何事にも必要だと思う。


家訓や家の規則も同様。誰しも「これが普通だ」と考えて生きているが、その殆どは普通じゃない。
結婚したことがあればわかると思うが、あれは異文化交流以外の何ものでもない。
入り婿入り嫁なんて、トラップ満載の敵地に単身で乗り込むのと同義だ。
それに、本当の異文化交流ならわかりあえるはずもないと諦めがつくが、なまじ共通項の方が多いから性質がわるい。
あと、一つ気になり始めると、まるでオセロのようにパタパタと全てが黒にひっくり返り、あばたはえくぼから皮膚病に変わる。


風習がなくなるまで待つか、それともなくすべきか。むしろいっそ・・・・・・。
祭りのように一日だけの話ではない。それが問題だ。