ふにゃふにゃのあまえ

ふにゃふにゃと泣くことが増えた。
以前までは腹が減ったとかの不足を訴える内容と、眠い痛いなどの気持ちの悪さを表現する激しい泣き声が主だった。
火がついたように、という表現がぴったりの、自分が泣き声で割れてしまわないか心配になるくらいのやつだ。


激しい泣き声は少しいらいらすることもあるけれど、ふにゃふにゃ言っているのは大層微笑ましい。
ただ、よく見ていないと違いが判らないのだろうなとも思う。
他の家の子供だったらもうお手上げだ。多少の予想はできても確信はもてない。
そして、その確信のもてない不安さが子供に伝染するとコミュニケーションは途絶する。


親に限らず、親しくなるということは受け手側の情報感度が上がることを言うに違いない。
発信側で言えば、初対面以上に気を遣うことなんてほぼないのだから。
子供は一番はじめっから泣いていた。無礼極まりない。個人的にはもっと気を遣って欲しい。痛くないように生まれてくるとか。


今は喋らなくても理解できる。ただ、果たしてこの感度を維持できるだろうか。
わからなくなるならわからなくなるで構わない。
問題なのは、わからなくなっていることに気付かないかもしれない、ということだ。