夏の終わり

夏の終わりを感じるのは、蝉よりも蜩の鳴き声が良く響くようになった時。
ただ、今年の場合はそれよりも騒々しいものがやってくる。
寝た子を起こしにやってくる。
今回は子育てが争点の一つのようだが、いったい何を子育てだと想像しているのだろうか。もちろん子供が泣いたらその人に入れることはない。きっとそれくらいは想定していて、それでもメリットが大きいと考えているからああしているのだろうから。
女性の支持者あたりは止めるのだけれど、おしめも換えたこと無いおっさんが強行に広報車を主張している様が芽に浮かぶ。


さて、夏の終わりといえば宿題である。
自慢じゃないが、計画通りにやったためしがない。
もちろん期日には間に合わせるが、そもそも毎日日記なんか書けるわけがないのだ。
工作や自由研究などの大物を残り一週間で終わらせることこそが、夏休みの醍醐味なのだと思い違いたがっていた。
まあ、すっぱい思い出である。
今思えば計画的に継続してやることにこそ意味があったのだと感じる。
締め切り前に必死でやると、確かに達成感はあるのだが完成度は低かったように思う。
休み明けの実力テストなんかも寝不足で散々だった気がする。
大人になってもその癖は抜けず、仕事も同じ感覚で進めてしまうことが多い。
宿題と仕事が同じものであるはずもないのに。
でも、テスト勉強は一夜漬けとかはしない方だった。
毎日勉強していたわけでもないけれど。


そういえば選挙は試練なのだろうか、試験なのだろうか。
国民の信を仰ぐと言っているのだから試験に近しい気がする。
そうすると選挙活動は一夜漬けにあたるのだろう。ならば、合格してからのパフォーマンスの低下が簡単に予測できる。
周りを観察すると日ごろの成果に自信がない人間が一夜漬けを多用する傾向にあったように思う。
選挙も同じだろうか。
ただ、私たちはあのときの先生ほど熱心に答案を見ていない気もする。