自然

最初はたくさんあったのに、だんだんと少なくなっていった。
あまり気にはしていなかったけれど、小さな生き物は敏感に感じ取るものらしい。
ただ、自覚はあったけれど行動はあまり変わらなかった。
そういえばあんなに遊んだり、写真を撮ったりしていたのに近頃はとんとやらなくなった。ちょっと積極的に活動してみたこともあったが、結局は続かなかった。
おそらく、自覚があるつもりだっただけなのだろう。
自分の身近に居なくなってから、初めて痛切に実感するのだ。
自分は何も改善しなかったことを。何も継続できなかったことを。


もちろん子育ての話。
今はアホほど写真と動画を残しているけれど、10年先も同じペースで残しているとは思えない。次の子ができたらまた話は変わるだろうし。
しかし、育てられる側からしてみたら親の愛情を疑うには十分だ。疑うまではいかなくとも、確実に距離は感じるだろう。
成長すればそんなことを感じなくなるはずだ、という人はきっと恋愛の際も嫉妬に身を焦がすことは無かったのだろうし、プレゼントが無いだのお出かけが少ないだのと文句を言うことも無かったのだろう。素晴らしい。


思うにそんな感じの話が多いような気がする。
もちろん子供だって成長するのだから、同じように可愛がり続ければ良いというものじゃないだろう。データを残せば即ち愛情な訳じゃない。
じゃあ、データの代わりに何を残していくのかを考えているのだろうか。思い出だって目に見えなければ無いのと同じだ。それには、忘れられない思い出にするという気概が必要なんじゃないだろうか。
そして、おそらく、そちらの方が格段に難しい。


だから、私はデータを取り続けるだろう。
我が子の作品を残し続けるだろう。
それが明らかな手抜きだと自覚していたとしても。