自分の見たいものだけをみて何が悪い

バランスが悪い。
ただでさえ、悪くする方が容易いのに。
(良い行為と悪い行為のどちらが想像しやすいか考えれば自明なはず)
相手の立場に立つという思考実験は、客観性を取り戻す契機と落としどころの予測を簡易にしてくれる。ただ、相手になりきるのは不可能ごとなので幾分相手側に落とすほうが安全だ。


と、大上段に振りかぶってみたところで、実は大した話ではない。
ベビーサインができるようになったので、乞われるままにほいほいとお乳を飲ましていたらお腹がびっくりするほどぱんぱんに。
あら、実はにぎにぎするのが楽しいだけだったのか。
飲まなくなってから気付くのもどうかと思うが、うちの子も苦しくなる前に止めとけ。
しかも、その腹で寝返りをうとうとするな。無謀すぎる。
頑張ればできるとかそういう問題じゃないから。
やっぱり進んでは下がるのだな。多分、親の気が急くのを落ち着け落ち着けって戒めてるのだな。
でも、ハイハイの練習はするけれど。


あと、今日はおもちゃにボタンをつけた。
アクセントになって意識が変わると思ったからだ(主に私のだが)
赤が好きなので赤色のボタン。
なぜ赤が好きなのだろう。私も子供の頃赤が好きだった気がする。
おそらく波長が長いor彩度が高い方が捉えやすいとかそういうのだろう。
しかし、成長するにつれて好みは変遷する。
その好みだって親が与える色に染まりやすくなる。私の場合は緑だった。
良い悪いではない。そういうものだということだ。
自分の見たいものと見せたいものと子供が見たいもの。
混同しやすいので気をつけたい。
色は混じればどんどん濁る。