合掌

両手を前で組めるようになった。
組むというよりも、指先を掴みあうといった風情だけれど。
ようやく祈れるな(何に)


祈りといえば、何故手を組み合わすのだろうか。
もしくは、身を投げ出すかのような拝礼。
不自由極まりないと思うが、礼儀とはそういった不自由さを自ら課すことによって成立してきたのだから当然なのかもしれない。
それがわかりやすい形になるよう求められると規則になる。
全て最初から規則があったわけではない。求められて作られるものが殆どだ


神の存在を信じているわけではないが、なんとなく祈りたくなるときはある。
だいたいが幸せなときと不幸せなときだ。
内容はずっとこれが続きますようにともう続きませんようにだ。
神の概念すらない我が子は祈ったりするのだろうか。
もし祈るのならいったいどちらを祈るのだろう。