悲鳴と歓声

嬉しい悲鳴はあるのに、悲しい歓声とは言わない。
おそらく反対語はありがた迷惑になるのだろう。
アリ型迷惑になると、規則正しく次々にやって来る感じで大変嫌だし、凹形牧場だと普通の牧場である。
一体、何が言いたいんだ。


そういえば、我が子が喃語を使うようになった。
使うようになったところで意思疎通ができるわけではないのだが、何だか通じた気になれてお互い嬉しい。コミュニケーションの殆どが誤解の産物であるという良い例だろう。両方がにこにこしていれば、それで良いのだ。
しかし思うに、子どもはいつの間に感情をコピーするのだろうか。
快不快は生理的なものだから判るが、思い通りにいかないことで不機嫌になるというメカニズムがよく分からない。というか、思い通りになることなんか一個もないだろうに。
元に戻れないからといって、寝返りをうつたびに呼びつけるのは勘弁して頂きたい。こけるほうが簡単だろうよ、常識的に考えて。


自分で起き上がっておいて、出すのは悲鳴。
それでも、転ばされては歓声を上げる。
どっちが嬉しいのか私にはよく分からない。