お祭り

私が初めて花火を見たのはいつだったろうか。
幼稚園の時分には手持ち花火は見ていたはずだが、さっぱり覚えていない。
小学校のときにみた打ち上げ花火はよく覚えているが、初めてだったかどうかは定かではない。
今では一年に数回見ることも珍しくなく、そう考えるとなかなかの回数を見ているわけだ。映画館に行った回数よりも多いかもしれない。エコエコ言う割にこういうイベントの数が減らないのはどういうことだ、と柳眉を逆立てたりはしない。私は無駄が好きだし、花火で滅びるならそれもまた一興。ちなみに原子炉の青白い光(ナトリウムだったか)も大変綺麗だと思う。まあ、それとこれとは話が別だということだろう。


というわけで、兎に角人が多い。あと特別子どもが多い。
子どもは本当に花火が大好きだ。
我が子も風呂場の照明を、肌がふやけるまで見ていたりするから、きっと光るものが好きなのだろう。あれか、キミらは虫か。
あと、出店のくじなんかで良いカモにされたのも良い思い出だ。あれ以来うまい話は信用しないことにしている。綿菓子なんかは原価率を考えると死にたくなるし、お面は翌日の朝日と共に魔法が解ける。あと、金魚が死ぬし、ひよこはでかくなるし、亀は逃げる。


まあ、あの祭囃子で浮き足立つのだろう。そしたら転ぶのが道理だ。
大人はもうこけることはない。あんな子ども騙しにはもう引っかからない。
だが、それはもう純粋に楽しめないことと引き換えだ。
それに、だからといって大人に楽しみがない訳じゃないだろう。
単に巧妙に浮き足立たされているだけではないだろうか。


踊っているのか踊らされているのか。
視点の高さは違っても、大人も子どもも今は同じ花火を見上げる。