我が子だけが愛おしい

理由として簡単に思いつくのは二つ。
血縁だからというものと、見る回数が多いからというもの。
血が繋がっている、というのは現在の人間の認識力では把握することができないが、身体的に似ているとか、DNAを調べるとかで、間接的に納得することは可能だ。
回数が多いからというのはザイオン効果で説明できる。
逆に子どもの視点から見た場合は、刷り込み効果というのが有名だ。


さて、ここで一つの事実に気付く。
子どもは親(ないしはそれに似た存在)を一度で見抜くのに対し、親は直接的かつ短絡的に子どもを愛することがない、ということだ。
少なくとも私はそれを証明するものを見たことがない。


いや、証拠がないから憎いと言っている訳ではない。おそらく実験もできない類のものだろうし。
ただ、今までそれを確かめる必要性があるとは思われなかったのだな、とは考える。
自分の感情に自信を持つことは素晴らしいが、人はそれをよく盲信と表現する。
確かに私は我が子が愛おしい。
他の子どもとは比べ物にならない。
だがしかし、それは故あることではないのだ。


私はこの愛情に理由が欲しい。
たとえ血が繋がっていなくても、一度も触れたことすら無いとしても、この子を愛せるという理由が。


その理由のなさ、大海に浮かぶ小船のような寄る辺なさが愛情というものの本質なのだろうけれど。