痛み

こどもは痛みに強い。
いや、幼児ではなく乳児の話だが。
なぜかというと、奴らは痛みを理解する能力が欠けているからだ。
傷だらけになるまで顔を掻き毟るわが子をみてそう思う。


さて、痛いとはどういうことだろう。
もちろん感覚的なものは当然ある。誰だって腹を刺されたら痛い。
しかし、ちょっと待って欲しい。
いまこの文章を読んで想像した痛みは一体なんの痛さなのだろうか。
私は幸いにしていままで腹を刺されたことは無い。
世の大半の人間がそうだろう。
だが、私たちはそれを想像し、おそらく痛いのだろうと結論づける。あろうことかあるはずの無い痛みすら感じる。
こどもにはその能力が無い。
痛みをあまり感じたことがないのだから当たり前だ。
そりゃもちろん死ぬほどの怪我をしたら泣き叫ぶだろう。
だが、おそらくだが死なない程度の痛みについては彼らはかなり寛容なのではないだろうか。
きっと私たちも想像力さえなければ、もっと痛みに耐えることができるのだろう。
それくらい幻痛は痛い。
下手をすればそれで死ぬほどに。
一説によれば飛び降り自殺は地面に落下するまでに死ぬこともあるそうな。


ただ、心の痛みはどうなのだろう。
大切なものを失ったとき、半身をもがれるとさえ例えられるその痛み。
それは想像力さえなければ耐えられるのだろうか。


私たちが上乗せしている幻の痛みは、もしかしたらかなり大きなものなのかもしれない。