その想いはのこらない2

メールで届く恋文。
何度だって見返せる結婚式。
わが子に至っては、誕生から今までデータとして残らない日はないくらいだ。


だからといって感動が薄くなるだとか、瞬間の価値が減じたと言うつもりはさらさらない。良いものは何度見ても良いのだ。映画を何度も見たからと言って価値が薄れると言う人間はいまい。心から良い時代になったと思う。


だが、違いはある。
例えば、コピーされたメールは同じものなのか。
同様に貰った手紙とそれを書き写したものは同じだと言えるだろうか。
一緒にするなといわれるかもしれないが、ではどう違うのかを説明できるだろうか。


精巧な贋作にだって感動はする。個人にとっての価値や感動と真贋は究極的には関係がない。
ただ、違うものだという認識は必要だと思う。
記憶も含め、私たちが後生大事に抱えているデータの山は全てコピーなのだから。


現在は一瞬のうちに過去となり、多数の劣化したコピーとなる。
熱力学第二法則を憎んだりはしないけれど、逃れられないことを少し悲しく思う。