終わるということ

なんの捻りもなくただの感想を残す。



今まで結構な数の戦争に関する本や映像を消費してきた。
日本に居る限り、現実の戦争を体験することは今のところないだろう。
だから、まあそれゆえに『戦争』というものについて考える機会は結構あった。
戦争の是非という究極的なところから、悲惨さ、怖さ、といった触れたくない面。
また、兵器や戦闘等、ある種の高揚感を覚える面も同時にあることを知っている。
個人的な信条はどうあれ、基本的に戦争はいけないことだと理解している。
このように様々なメディアを通して体験した架空の戦争は、私に普通の知識と普通の価値観をもたらすことに成功した。
個人の信条はどうあれ、戦争に対する共通認識は、まあ敷衍しているといえよう。


だが、そんな私が本書で初めて考えたことがある。


戦争が終わるとはどういうことだろう?


確かに今までだって玉音放送を聞いて崩れ落ちる人や、やけになって騒いだりする人を描写するなにかに出会ったことはある。その時も戦争が終わるって大変なのだな、と思ったとはずだ。しかし、本書を読んでから改めて思い返すと、あのとき思ったことは『戦争に負けるのは大変だ』なのだ。


私は戦争が終わるということがどういうことか理解していなかった。
今でもうまく言葉にはできないし、これもきっと錯覚にしか過ぎないのだろう。
ただ、錯覚でもそこに至れたことを幸せに思う。


本書は私たち戦後教育を受けてきた人間の知識の間隙を突くだろう。
反戦とか右翼とかそういった数々のカテゴライズをすり抜ける。
それは、新しい知見や珍奇な思いつきによってなされるのではない。
ただひたすらに誠実な描写と地道な想像によってなされるのだ。


いずれこの作品には大きく光があたるだろう。
そのあたる光が曲がっていなければ良いと切に願うばかりである。