あなたの幸せの為に


「あなたの幸せの為に祈らせてください」


お前が死んでくれたら幸せです。
思っても口にしないのがエチケット。
「死ね」
あ、出ちゃった、てへ。
そんな頭の煮えた初夏の放課後、部室に男が二人。


「俺が祈ったところで、お前になんの害があるんだよ」
立花の発言はもっともらしいが、正しくは無い。
「害はないかもしれんが、俺のお祈りポイントを勝手に使われるのは気分が悪い。ここぞというときの為に、もったいぶって貯めてるんだから具体性のない幸せなんぞに費やすな」
「じゃあ、どんなことなら使っていいんだよ」
「お前が人類初のバナナの皮で滑って、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬという偉業を成し遂げてくれるなら、来々世分までなら支払う用意がある」


誰が考え出したんだろうな。バナナの皮。あんまり滑らないのに。


「そもそも害が無いと思うなら、許可なぞ取るな。お前はあれか、褒められたいひとか。褒められてないと死ぬのか。というかいきなりなんで俺の幸せを祈る?」
「いや、この間の日曜に街角で声掛けられてな。ちょっと綺麗な女の子だったからほっといたんだが、待ってるうちになんとも言えない妙な気分になってな。案の定フラグも立たないし、腹が立ったからやってやろうと」
「最初から嫌がらせ目的じゃねえか。しかも、女ですらねえ」


祈られ損も甚だしい。


「害はないのにな。なんで妙な気分になるんだろうな」
「人間は普段他人の幸せなんて祈らないからだよ。他人の為に祈れるのなら、元旦早々神さまスロットにあんなに小銭ぶちこんだりしないだろ」
「払い戻しがあっても自分の実力とか思って感謝しないしな」
「つまり、理解できない存在は害がなくても気持ち悪いんだよ」


しかし、俺の言葉に立花は納得できないらしい。腑に落ちない顔をしている。


「・・・・・・本当に理解できないのかね。まあ、これが宗教だってのはわかるよな?」
「ああ、わかる」
「教義だか功徳を積むんだかしらんが、他人の為に祈る必要があるってのもわかるな?」
「ああ」
「じゃあ、街角で声をかけて他人の為に祈りたいと伝えるってのもわかるんじゃないのか?」
「理解できると共感できるは違う。行動に至るまでの流れは理解できるが、その行動を取ろうと思った理念は理解できない。だから、行動自体に共感はできない」
「そうだな。でも、俺達はその思考を一瞬で行ったのか? 行為自体の気持ち悪さに後付で理由をでっち上げただけじゃないのか?」


俺は答えられない。
しかし、答えは分かる。思考は感覚を越えた速度では働かない。現象を分析し、論理を積み上げて初めて解答に至る。三角形が合同なのは見た目で分かるが、証明には時間がかかる。それと同じだ。
答えられない俺に立花が重ねて問う。


「で、それは本当に合理的な判断なのか?」


数学であれば後追いの証明はそれが本当に合同な三角形だと定義してくれる。
だが、現実にはそれが正しいと証明する定義などない。ただ、自分が気持ち悪いと思ったその感覚だけが先走るのだ。
残念ながら、その感覚が何によってもたらされているのかを理解することは永遠にない。その感覚を証明する思考が感覚自身に追いつかないからだ。まるで亀を追いかけるアキレスのように。
そんな合理の呪縛に囚われるアキレスを見て亀は嘲り笑うに違いないのだ。
重いのなら論理なぞ捨ててはどうですか、と。


見たことも無い目を伏せ祈りを捧げる少女の顔に、亀の笑みが重なった気がした。