尊厳ある死

尊厳死は好きか?」


今日も今日とて頭が煮えているらしい。そういえば、もう春だしな。
いつものように演劇部の部室で愚かな問答を繰り広げる男が二人。


「定義にもよるが、そもそも俺はその尊厳死とかいう言葉が嫌いだ」


本から視線を外さずに答えた。
『こんな夜更けにバナナかよ』は文庫版が出てないので今日は単行本だ。


「そもそも人間にそんな御大層な尊厳があるとは思わないし、尊厳という単語自体が認めない立場に負のバイアスを懸けているように思えてならない。自殺幇助対象外死で十だろ」
「ご高説は十分賜ったが、結局お前はどうなんだ? 賛成なのか?」
「人に尋ねるならまず自分の旗色をはっきりさせたまえ、立花君」


どうやら中間テスト前なのでお互い煮詰まっているようだ。
口調が大変にあやしい。


「自分としては他人に迷惑を掛ける前に死にたいってのはあるが、例えば肉親が選ぶとなるとちょっと躊躇うな」
「じゃあ右に同じで」
「ちょっとは考える素振りくらい見せろ」


怒られた。
個人的にこういった答えの無い選択の類は実際に遭遇してみないと諸条件が確定しないので答えを出したくはないのだが・・・・・・。自縄自縛という言葉もあるし。
かぶりを振ると、俺はいやいやながら本を閉じ答えを考えてみた。


「うん、まあ考えてみたところで右に同じだな。諸条件が確定しない限り一般論でしか答えられん。少なくとも宗教と倫理面以外で自殺は禁じられていないのだし、できるだけ綺麗に死にたいというのは誰にでもある願望だ。個人的には自死を表明した時点で遺産相続が発生してるとみなして法定相続人が拒否したら駄目ってので良いと思うな」
「それなら望んで死ねないことの方が多くならないか?」
「多くなるだろうな。ただ、それはもうそうなるまでに了解を得ておかなかったそいつの手抜かりだよ。遺志も尊重してもらえないような人間関係を作ったそいつが悪い。それに、外聞が悪くて苦労するのは遺族なんだから、拒否されたらそれまでだろ」
「医療コストはどうなる?」
「それは別問題。自死を許可したところで構造的に改革されるとは思えない。それを言い出したら回復の見込みがない人間は全て死ななきゃならんぞ」
「結論としてはそういう意味も含むんじゃないのか?」
「それはそれ、これはこれだ。この幇助対象外死は戦争時は人殺しが許容されるってのと同じ論法だからな。かなり条件を限定した上でないと本当は議論にならない代物だろうよ」
「ただ、一度許可されるとどこまででも敷衍可能である」
「そういうことだな。生き死にを権利だなんだと言うからうっとおしくなる。黙って生きて黙って死ねばいい。で、こういう話をしてると良く思うんだが、行為をする人間のことは考えなくても良いのか?」
「医者のことか?」
「俺は嫌だ。生き延びさせることをメインで考えている人生に冷や水ぶっ掛けられたら堪らない。例え終末医療の関係だったとしても、苦しみを取り除くのと仕方ないから殺すのとじゃ全く違うと思うのだが?」
「確かに医者にやりますかって聞いたアンケートは見たこと無いな。刑務官でもなり手が少ないらしいからなぁ。おそらくほとんどの人間がやりたくないだろうな」
「つまりは導入は絵に描いた餅なんだな。無理やりやれって訳にもいくまい」
「権利が先走ってるってことか」
「金を払う側はどこまででも望むもんだからな。もともと死ぬのは苦しくて嫌なもんだっつーの。諦めてじたばたすりゃいいのに」


そう言って俺はまた本を読み始めた。
幸い俺はまだ若く、障害もなく、多少は未来に展望が持てる。だが、いつかは全てを諦める日がくるのかもしれない。そのときに残っているのが死ぬ権利だけだとしたら、俺はその崖を飛ぶだろうか。
おそらく飛ぶのだろう。深淵を見据えたまま果てることなくじっと待ち続けるのは耐えられそうも無い。だが、それに耐えている人もいるのだ。諦めずにずっとずっと。
耐えている人たちにとって、横を抜けて飛び降りていく人たちはどう見えるのだろうか。
こういう尊厳死などの是非を問うアンケートを見るたびに、彼らに飛べ飛べと薦めているように見えてならない。