食事

「ただいま」


帰りの言葉に返事は無い。ただ、暗い部屋が待っているだけだった。
冷蔵庫の低く唸る音がやけに大きく聞こえた。
先月から妻は出産の為に実家に里帰りしていた。先日ようやく生まれ、再来週に帰ってくる予定だ。毎週の会いに行っているし、写真も毎日送られてきていた。
久しぶりの一人暮らしは気楽で楽しく、言ってはなんだがさびしいとは感じていなかった。それなのに未だにただいまを言ってしまう。居ないことを忘れているわけではない。ただ、言わないと気持ちが悪いのだ。


コンビニで買ってきた弁当をテーブルに置き、コンロで湯を沸かす。その間にフィルタにコーヒーを仕掛ける。もちろんミルで豆から挽いてだ。妻はもともとコーヒーは飲まなかったから、一人分だけ用意するのに変わりは無い。二つならんだマグカップのうち青い方を取り、あたためる。湯が沸いたら最初は少しだけ注いで豆を蒸らす。30秒ほど蒸したら、円を描くようにゆっくりと注ぐ。このときフィルタに湯が直接かかってはいけない。コーヒーができたら、テーブルへ移動し味だけは濃い晩餐をはじめる。


学生の時の一人暮らしでは自炊をしていた。金が無いのはもちろんだったが、自分で飯を作るのは少し楽しかった。共働きなので結婚してからも、ときどきは台所に立った。妻の作る食事の方が旨いのだが、うちの家には早く帰った方が晩御飯を作るという不文律があるからだ。それにネット調べたレシピで残り物を処分していくのは意外に楽しかった。


そんな私だったが、妻が帰ってから一週間で自炊をすることは無くなった。食事中にテレビを点けることもない。言葉を発することもない。いただきますもごちそうさまも言わない。一人暮らしに戻ってから、独り言は格段に増えた。ただ、不思議と食事中は黙って食べていた。理由は自分でもよく分からない。


コンビニ飯はやっぱり旨くないが、どうしようもない。旨くもないのに食べる量が間違いなく増えているのが理解に苦しむ。本当に体重は正直だ。それに比べてコーヒーは会心の出来だった。苦みのある香りが体中に染みていく気がする。マグカップを手に弁当の残骸をみていると、乳を飲む子どもことが思い出された。


自分の口ほどもある大きさの乳首を必死で咥え、呼吸も忘れて飲み続ける。おそらく旨いとか旨くないとかはないのだろう。飲んでは休み、休んではまた飲む。飲んでいる途中で乳首を離そうものなら、ものすごい勢いで泣く。急いで咥えさせると、またけろっとした顔で飲み始めるのだ。そして、満足するまで飲めばしばらく放心している。あの忘我の表情は思い出すたびに笑ってしまう。


母乳を自分も飲みたい、などとは思わなかったが、旨そうだなとはちょっと思った。聞くところによると味はほとんどないらしい。そういう噂を聞くということは飲んだ奴がいるということのなのだろう。まあ本当に旨いのならば、この世の中間違いなく商品化されている。無いのだから、推して知れということだろう。


ふと思い立ち、人差し指をマグカップに突っ込んだ。指を取り出すと、温いコーヒーがテーブルに点々を作った。おもむろに人差し指をなめる。味なんてしない。しいて言えば、少し苦いくらいか。だが、私はその人差し指を丹念にしゃぶった。


「ごちそうさま」
少し腹が膨れたように思った。