さるとかにと

昔々あるところに蟹がいた。
ある日、蟹がおにぎりを持って歩いていると、知り合いの猿が柿の種と交換しようと言ってきた。
蟹は猿とは仲良くしていたが、交換するのがちょっと嫌だった。
確かに蟹が炭水化物を摂取してどうするのか、それに何故すぐに食べずに持ったまま移動していたのか、と自分でも思わないでもなかったが、それでも明らかにそこら辺で拾ってきたに違いない柿の種との交換ではあまりに業腹だった。
だが猿曰く、この種はただの柿の種ではなく邪狗とかいう異人が持っている豆と一緒で恐ろしく早く成長し、それはそれはたくさんの実をつけるとのことだった。
蟹は冷静に、では自分で植えれば良いと切り返した。
猿が慌てずちっちっちと指を横に振って言うにには、猿は柿ではなくおにぎりが食べたいということであった。
確かにそれで理は通る。
蟹は結局おにぎりと柿とを交換した。


さて、蟹はさっそく家に帰って種を植えた。
蟹はさっと物陰に身を隠した。
しかし、すぐに芽が出る気配は無い。
蟹の想像では植えた瞬間に凄まじい爆発がおこり、土砂が盛り上がり、超望遠までカメラが引くところまでいっていたのに、そうなる気配は微塵も無い。
蟹は気付いた。
そうだ、水が足りないのだ。
蟹はさっそく種に水をやった。
その瞬間、蟹はさっと物陰に身を隠した。
蟹の想像では以下略。
もちろん蟹の想像どおりにいくはずもない。というか、ジャックも寝てる間に成長しただろうがよ。
しかし、蟹は考えた。どこにあるかよくわからない脳みそを使って考えた。
考えすぎて多少コクが増した頃に、蟹は足りないものに気付いた。
そうだ、恐怖が足りない。
そういえば何かで毛玉の化物が呪文を唱えて芽を出させていたのを見た気がする。
蟹の小さな脳みそではパラドックスを理解することは不可能であった。


蟹はなんとか呪文を思い出しながら、種の周りを踊り歩いた。


「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」


そう言うと、なんと小さな芽が出たではないか。
蟹は喜んでさらに大きな声で歌い、踊りまわった


「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」


蟹が歌うたびに、芽は成長した。苗は樹になり、樹は大木になり、花をつけ、たくさんの実を結んだ。
蟹が歌うたびに、青い実が色づき、朱色の輝きを増していく。
まだ、青い実はいくつかあったが、そのほとんどが熟れ落ちんばかりになっていた。


そこへおにぎりを食べ終えた猿がやって来た。
おにぎりを食べ終え、ちょっと甘いものが欲しくなり、せっかくだから蟹も一緒に茶屋に行こうと誘いに来たのだった。
猿は大きく成長した柿の樹をみてしこたま驚いた。
なぜなら交換したのは普通の柿の種だったからだ。邪狗うんぬんは口からでまかせでしかなかった。
猿は得意げに胸を張る蟹に賞賛の念を禁じえなかった。
しかし、猿はあることに気付いた。
蟹は樹に登って柿をとることができないのではないか、と。
蟹にその旨尋ねてみたところ、蟹もはっとその事実に気付いたらしく、しゅんと無念の表情を浮かべて黙り込んでしまった。
かわいそうに思った猿は、柿が取れない蟹の代わりに自分が取ってあげようと提案した。ただ、できたらお裾分けしてくれるかい、とも。
蟹はその申し出に一も二もなく頷いた。どう食べるのか知らないが、嬉しさに涙せんばかりであった。


そして両者合意のもと、猿はするすると樹に登った。
猿の名誉の為に言っておくが、騙した罪悪感も手伝ってか、猿は蟹より先に食べる気はさらさらなかった。これは本当に事実なのである。
猿は一番熟れている柿を蟹に採ってやろうと、鈴なりになっている実の中でも一際大きな、まるで血塗れたように朱い柿を選んでちぎった。
その時。


さて、話は変わるが植物に話しかけると良く成長するとか、クラシックを聴いた牛の肉は甘くなるとか、そういった話を聞いたことがあるだろうか。
実際そうなるのかどうかは、食べたことが無いのでわからないが、様々な理由から結果的に全く無いとも言い切れないように思う。
では、逆に憎しみを込めて育てた場合はどうだろう。
口にできないほど不味くなるのだろうか、それとも。


その時、猿の視界がくらりと揺れた。
樹に登り始めてから十年。初めての感覚だった。
どちらが天か、枝を四肢が捉えているのかどうかすら定かではなかった。
ただ、右手に掴んだ柿だけは確りと握り締めていた。
なぜこの樹に登ったのかさえ覚えていないというのに。
柿はこれ以上の力を込めると、どろどろと崩れていきそうなほど良く熟れていた。
先ほどふらついた時に爪が刺さってしまっただろうか、良く見ると皮の一部から実が溶け出していた。
どくりどくりと脈打つ傷口から、むわりと漂う爽やかな柿のにおい。
耐え切れず柿を口元に寄せる。
視界一杯に広がる柿の朱色。太陽よりも朱いそれは、まるで血潮のよう。
一息に齧り付いた瞬間、脳髄に激しいしびれが走った。
突き抜ける震えと、口腔に満ちる甘露。
猿が甘味の至福に浸りきっていると、下からなにやら声が聞こえる。
ああ、そうだ。蟹がいたのだ。
猿が下を見ると、地面には蟹がいた。
醜く吐き気を催すほど憎い憎い蟹が。
俺はそこまで蟹を憎んでいただろうか、という疑問がちらと頭を掠めたが、二口目の柿を頬張るとそれも猿の脳裏からは掻き消えてしまった。
兎に角蟹を殺そう、猿の心は既に決まっていた。
猿は手近にあった青い実を確りと握り締めた。


かき
うま