『愚者の問いは常に愚問』は真なるか

「何故人間を殺してはいけないのか」


たまに静かだと思ったら口を開いたときの愚かさが倍になるとは。
三回分くらい黙っていてくれたら脳がはじけ飛んだりしないだろうか。
いつものように放課後、演劇部の部室に二人。
考える価値と答える価値が拮抗していたため、俺は読書を続けた。


「なあ、誰も答えられない問題だとは思わないか?」
「答える価値が無いの間違いだろう。小学生か。言っておくが死刑も戦争も制度問題であり、原則ではないからな。わかったらさっさとアオミドロあたりに生まれ変われ」


同種殺しを認証する社会では生存コストが高すぎる。
日本で暮らしているから死は遠い彼岸のものだが、紛争地域では立花のような質問は頭を掠めることすらないだろう。
遠くのものは良く見える。隣の芝生は青いが、また同時に荒れ具合もよくわかるものなのだ。
自分の芝生が荒れているときは対処に必死で隣の芝生なぞ見ている余裕は無い。
また、あまりに芝生が荒れすぎていると家の外にすら出なくなる。
そんな感想を持ったが、中間考査が明日に迫っていることとは断じて関係が無い。
従兄弟が通っているエスカレータ制の学校なんて全くうらやましくは無い。


「質問が悪かったか。どうしても殺したい場合はどうすればよいと思う?」
「絶対にばれないようにやるか、法的に殺人可能な職業に就くか、生まれる場所を間違ったと嘆いて自死を選べ。個人的には最後のを可及的速やかに実行することを勧める。ああ、間違った。できればきっかり一年後に実行してくれ。手続きがまだだった」
「言っておくが俺に殺人衝動は無いぞ」
「わかった。マスコミには日頃からそう言っていたと伝えておく」
「いや、次の公演でシリアルキラーの役をやるだろう? 彼らはどういう気持ちなのかと思ってな」


そういえばそんな脚本を書いたような気もする。
俺は過去を根に持たないタイプなのだ。
しかし、役作りとあれば仕方ない。俺は読書の手を休めて少し考えた。


「結論からいうと俺たちが真性のシリアルキラーで無い限り理解できることはない。最初に言ったが人が人を殺したいと思わないというのは社会の大前提だ。少なくとも有史以来はそうだ」
「昔は食人の習慣だってあったと聞くが?」
「あったとしても儀礼的なものか、敵対する社会の人間に対してだろう。同じ社会の構成員を減らすのではいずれ袋小路に嵌まり込む」
「確かにウロボロスの蛇では困るな」
「ただ、今は人口が多い。60億もコピーすれば相応の数のエラーが出る。件の殺人衝動をエラーとするなら、普通のコピーたる俺たちに理解できることは何一つない。もしかすると呼吸と同じくらい自然なことかもしれないし、恋愛と同じくらい苦しくも楽しいものかもしれない。全てはそいつの脳内にしかないんじゃないかな」
「何故殺すのかが理解できないのと同様、何故殺してはいけないのかが理解できないってことか」
「そういうことだな。ただ、衝動と倫理の理解は別問題だ。お前の持っている性衝動と同様にやってはいけないと知っているからやらないってことはあり得るだろう。もしかすると存外そういう人間は多いのかもしれない」
「人を強姦魔みたいに言うな。つまり、腹は減っているが食い逃げして捕まるのはごめんという心理だな」
「食欲と同じくらいの欲求だとしたら飼い慣らすには一苦労だろうな」


やりたければ、何も気にせずやる場合。やりたくてもリスクを恐れてやらない場合。最初からやりたくない場合。
すべからく欲求は上記の3つに集約されるのではないのか。あとは欲求自体の強さと行為の難易とのバランスによって決まっていく気がする。
試験前でかつ、眠いが徹夜で読書をしてしまうとか。


「結局役作りの役には立たなかったな。生まれつきかぁ。どうしても類型にならざる得ないか。しかし、生まれつきというならそいつらは子どものときはどうやって欲求を解消してたんだろうな」
「よくあるだろう、猫とか犬とかが殺される事件が。あんな感じじゃないか」
「ふむ。しかし、それは代償行為になるのか?」
「どういう意味だ?」
「やつらは生まれつき人間が殺したくて仕方がないのだろう? 生き物が殺したいわけじゃない。そりゃうどんが食べたいときにラーメンを食っても腹は満たされるかもしれんが、やつらの欲求は食欲と同じものなのか?」
「同じようなもんだ、と考えるしかないんじゃないか。そうでなければ……」
「そう。そうでなければ生まれた時から間断なく求めて続けてるってことになる。乳よりも愛よりも、今そこに居るお前の死を、だ。なあ、赤子も殺意を抱くと思うか?」


ふとある漫画のワンシーンを思い出した。
その登場人物はこう言った。
『どうだ。これで動くものは無くなった、静かになっただろう? 生きて動いているものはイライラする。吐く息すらとにかくうるさい。こうやって動かなくなると初めて落ち着けるんだ』
そんな人間なら、生まれた瞬間から殺意を抱けるかもしれない。


夥しい死体の山の上にベビーベッド。
その中では赤子がすやすやと、本当にすやすやと眠っている。
風さえなく、太陽すらもその動きを止める。
誰に向けるでもない満ち足りた赤子の寝顔。
それはまるで死者のよう。