恋愛の臓器

「胸がきゅんとなる時って一体どこに痛みを生じてるんだろうな」



いつものように立花だった。
放課後、演劇部の部室に男が二人。
俺は今、すごく頭痛が痛い。
思わず読んでいた本を取り落としそうになる。


「なんだ、知らないのか? 心臓と胸郭との隙間にエボル器官というのがあってな。急激な心拍の上昇が鋭い痛みをもたらすんだ。まぁ、初恋が終わるあたりには萎縮して無くなるのだがな」
「何故そんなすぐにわかる嘘をつく」
「お前は自分の体を捌いたことがあるのか? 無いなんてどうして言い切れる」
「常識的に考えてありえないだろうが」
「何も無いところが痛いって方が常識的に考えてありえないとは思わないのか?」


俺の屁理屈に立花が黙った。
こういう愚にもつかない議論で俺の右に出るものはいない。
ただ、神様はもうちょっと俺にましなパラメータを振り分けても良かったと常々思う。


「おいおい、真剣に考えるなよ。戯言だろうが」
「いや、ありえないとは言い切れないと思ってな」
「……頭は大丈夫か?」
「与太話には違いないが一抹の真理があるような気がしてな。そもそも何故痛むんだと思う?」
「いや、痛みを覚えたことがないからわからんが、どうにもならない葛藤を抱えているからじゃないのか」


だから、その非人間を見るような目をやめろ。


「しかし、恋愛以外にも思うようにならないことはたくさんあるぞ。何故恋愛だけに痛みを覚える必要がある?」
「相手の居る事だからな。思うようにならない度合いが高いんじゃないか。それか昔は胸に生殖器が付いていたか、だ」
「下品極まりないな。もげた上でくっついたやつが腐って落ちろ」
「どっちが下品だ」
「なにがとは言っていないが?」
「小学生か」
「ともかく、何がしかの臓器がかつてあったと考えてもおかしくは無いってことだ。あるとすればコミュニケーションツールだったんだろうな」
「かつて人は一つの言葉を話していた、か。多分リンゴの代わりに神様に持ってかれたんだろうな」
「時系列がめちゃくちゃだな」


こんな感じで俺たち二人の間では恋愛話にはならないし、しない。
どれだけ他人に相談したところで自分の気持ちは変わらないし、相手が振り向く可能性が上がるわけではない。そんなことをする暇があるなら、映画にでも芝居にでも誘えば良いのだ。一番重要なのはできるだけ一緒に行動しようとすること。他愛の無い時間の積み重ねが何よりも重い価値を生むときがきっとある。
そうでもなければ運動部があんなに毎日熱心に練習する意味が無い。
反復と蓄積は取り立てて才能の無い人間の最大の武器なのだから。


仮に立花が言ったような器官があれば話は違うのだろうか。
自分の想いと相手の想いを一瞬で交錯可能にする臓器。
そこには誤解も、過剰な期待も、遠慮も憐れみも無い。彼我にあるのは完全な了解。

恋愛がかくも苦しいのは、不完全なコミュニケーションしかできない故か、それとも太古に失くした臓器の幻肢痛故か。