かまってちゃん

仕事の帰りが少し遅いと一人食卓につくことになるのだが、食事が終わって頸木を解かれた子どもたちの大変に自由な振る舞いに困る。
具体的に言うと、食べてると机の間から顔を出してくるし、椅子の背もたれと私の間にぐいぐい挟まれにくる。二人羽織か。
さみしいとかそういう感情の表れなのだろうと理解するが、なんだろう、愛が重いっていうのかなー、食べづれぇえぇぇっ!!!1!1!(限界だった)


まぁ、怒ったりはしないんだけども。可愛らしいし。
ただ、昔だったらそんなことは思わなかった。さみしいという理由でくっつくということが理解できなかった。だって、何にも変わらないじゃない。


今では人肌の重要性について熱く語れるくらいには人間性を獲得できているが、昔の私は多分機械になろうとでもしてたんだろうなってくらい感情の起伏がなく、理屈人間だった。
いや、感情の起伏はあったな。不機嫌かそうでないかだけだが。


GW中、妊娠した友人から子育てが楽しみになるように洗脳してくれと言われたので熱弁を揮った。
こんなにオモシロな自分専用コンテンツはないぞ、と。また、これほど無条件で自分を受け入れてくれる存在も。
子どもは3歳までの可愛らしさで子育ての苦労すべてにお釣りがくると言われるが、本当にそうだと思う。


でも、そんな子どもでも機械の体を求めてアンドロメダに旅立とうとするのだから不思議だ。私はどこで捨てたんだろうなぁ、人間性
心の声が聞こえないふりしてただけなのかね。それとも拒否される経験でだんだん機械化してくのだろうか。


とりあえずうちの子が機械化しないよう、子どもと椅子の背もたれとの間にぎゅうぎゅう詰まって嫌がられていきたい(なんで自分はやるのに嫌がんだよ!)