明日への希望

晩御飯を食べていると突然娘1が、
「卵焼きは ひとつでいいな」
などと電波を受信する。もちろん食卓に卵焼きなどない。
「ハムに それ巻いたんは いるな。それなんやっけ?」
レタスです。
このあたりで明日の遠足のお弁当の話だと気付く。えっと、名前もわからないもの入れていいんですか?


その後も「ハムは ふたつ いるな」とか好き勝手な要望を提出していた。
家人が苦笑しながら、「あとはおむすびでいいかな?」と尋ねたら、
「あー おむすびはいるなあ。娘1、おむすび忘れとったわー」と焼肉にタレ持ってき忘れたみたいな顔で恥ずかしそうに答えてた。
大丈夫、そこまで完全な要望書を提出しなくてもお弁当はできるから。


現代の幼稚園では、キャラ弁にするのが無言の圧力みたいになってる。道具類も半端でない種類を売ってる。海苔用パンチングとピンセットが必須。プラモか。
見栄とかいうよりも、他の子がキャラ弁なのに自分だけ違うと子どもがすごいショックを受けるのが理由だ。
せっかく作ったお弁当で悲しい思いをされるくらいなら、もうひと手間を惜しまないのが親心。かくしてお弁当のインフレはどんどん極まっていき、睡眠時間が削られる。


多分そろそろ動くやつとか出てくるな。仮面ライダーの活け造り的な(グロ注意)
もしくはどんどんプロ化していったり。
「このキャラ弁は偽物だ。食べられないよ」
「なんやて、わしの作ったプリキュアの握りが偽物やて」
「明日もう一度来て下さい。本物のプリキュアってやつを見せて上げますよ」
で、京極さんが号泣。もしくは「このキャラ弁を作ったのはだれだあ!」って爺さんが厨房に。


ほんまキャラ弁の世界は恐ろしいところやでえ(自分の弁当箱にきれっぱしを詰めつつ)