声はすれども

義母ことオカリーナが無事帰郷した。
感謝の意識が薄そうに見えるがそれは気のせいだ。子どもの調子もいまいちだったし、生活リズムを取り戻すのに大変助かった。
じっさい帰郷後初日の今日はしんどかったもの。
居なかったら多分もっと家人とケンカしていただろうな。そして、子どもが右往左往する、と。想像するだけでげんなりする。
改めて御礼を言っておかないとな。
持つべきものは暇な親である(それが駄目だっての)


で、昨日その義母と一緒に公園へ出かけたとのこと。


まあ、大はしゃぎで遊んで満足したところ、帰る間際に義母がトイレに行った。
別れの到来を感知している我が子はついていくと言って聞かない。
仕方がないので遅れてトイレに連れて行ったところ、古いトイレ然とした雰囲気に感化されて自身ももよおしたご様子。
別のトイレのドアを開けると
「ばーちゃん、いない!」と大声で指摘。そりゃそうだ。さすがにばーちゃんも鍵くらいかける(そういう問題か)


いないいない言ってたのを不憫に思ったのか、しばらくして義母から「ここにいるよ」と声がかかった。
声に反応した我が子は自分のトイレの外を覗き、それでも居ないのでもう一度トイレの中を覗き、そして最後にドアの厚みを凝視していた。
キミのばーちゃん薄いな。


「不可能なものを除外して残ったものがたとえどんなにありえないことでも、それが真実である」とはかの有名なバリツ使いの弁だが、我が子もそれを地でいっているらしい。
前提が間違ってはいるが。
さすがにサービス精神旺盛な義母でも、ドアの間から生えてくるという離れ業は不可能だったようだ。
次回はがんばっていただきたい(いつか手酷く怒られるパターン)