ゆれるゆれる 吊り橋ゆれる

吊り橋効果というものがある。
吊り橋をわたる時の心拍の上昇が恋愛のそれと誤認されうるという、身も蓋もない理論である。
そんな危険なところに連れ出せている時点で仲良くないかとか、刃物で襲えばもっとドキドキするのではと言う意見があろうが置く。
重要なのは、恋愛感情はドキドキすることにかなりのウエイトが置かれているということである。


それを否定するつもりはない。
運命の出会いや、困難を乗り越える大恋愛に憧れを抱かないこともなくはない。
ただ、物語はそれでエンドマークをつけられるが、人生はそうもいかないということだ。
向こう岸に渡って後ろを顧みないのならそれでよいだろう。しかし、かつての困難が大きければ大きいほど振り返りたくなるのが人情というもの。私は我慢しきれる自信はない。


もしくはずっと吊り橋の上に居続けるか。
それはそれで苦労しそうだ。吊り橋で暮らす人はあまりいない。
いつかは吊り橋にだって慣れてしまうのだし、現実には吊り橋を渡ればすむ問題でもない。吊り橋をゆすり続けるには忍耐と余裕が必須だ。
私みたいな平穏と安寧をこよなく愛する人間にはちょっと荷が重い。


そうは言っても、たまには吊り橋に行った方がよい。
平穏と安寧の泥濘に嵌りこむのも困ったものだからだ。
ただ、できるなら早目はやめに行っておいたほうが良い。渡りきれるとは誰も保証してくれない。
危険な場所について行ってくれる理由は、あなたが好きか嫌いかのどちらかしかないのだから。