不条理な愛情、制度的な合意

ツイッターで結婚の有利不利についての話題が出ていた。
@siva_yuri氏の
「結婚を義務と考えてる間は、結婚できないと思います。
結婚できるけどどうするよ、
で、えへへーと、顔が崩れている状態ではじめて結婚できるものなのです」
という言葉に深く同意。
いい表現だなあ、えへへーって。


確かに一生涯同じ人愛し続けられるかどうかに自信がないというのは、誠実で合理的な判断だと思う。私にだってそんなものはありゃしない。
二人でじっくり考えた末に結婚という制度を使わないというのはアリだ。むしろ結婚という制度を利用できない場合もあるだろう。だから、結婚だけが愛情の証明だとは思わない。


ただ、私が差し出せるものはそれしかなかったというだけのことだ。
制度として在り利用できるにも関わらず、利用せずに自分の愛情を証明し続けるのはとても難しいように思う。
それこそ不断の努力が必要で、おちおちケンカもしてらんない。
自由がデフォルトの期間が長すぎると、『落ち着く=束縛』に感じられてしまうのかもしれない。
個人的にはふわふわしてるほうが嫌だ。今では『束縛=必要とされる』と感じることが多い。おしめ換えとかお風呂とか(二人目って大変!)
そういうのは自分への自信のなさにも関係するのかもしれないな。


衝動的な愛を賛美するくせに、結婚に合理を持ち込もうってのがそもそもの間違いな気がする。
「メリットがあるから結婚します」は、無くなったら別れると同義だ。
メリットがあるから生きてるわけでもなかろうに。