わからないのは悪か

自分で調べて自分で考えることが正しいと思っていた。
今でもある程度は正しいのだと思っている。
しかし、大学時代に教授たちが考えている問題は、私程度の能力では問題の形すら理解できないのだと知った。
それを知った時、自分をとても惨めに感じたが、同時にもう考えなくてよいのだ、という安堵も感じた。


ネットに繋ぐとどうしても原発関連の記事を読んでしまうのだけれど、たぶんあんまり体によくない。
世の中には親切な専門家がいるもので、詳細な解説もたくさんあるのだけれど、私程度ではなかなか文意も理解できない。すぐに思考が停止しようとする。
正直、代わりに考えて答えを出してくれないかなと思う。


統一地方選があるけれど、全然候補者のことを知らない。
家事をするのと、子育てで手一杯だ。新聞もろくに読めていない。
選挙には行くけれど、自分の票に価値があるようには思えない。立派な愚民だと自覚している。


本当は全てについて適度な知識と意見を持ち合わせているべきなのだろう。
無ければ学び、学んでは啓蒙するのが立派な市民の務めなのだろう。
でも、実際は無理なのだと思う。少なくとも私にはとても難しい。
現代の大人は何をどこまで知っていれば大人として認めてもらえるのだろう。


子どもに胸を張れる答えを、私は持たない。