丸いのイデア

毎日子どもの顔を見ているわけだが、朝起きる度に子どもの顔を見ると、丸いなあと呟いてしまう。今朝も呟いた。
当の子どもはタオルケットに顔を同化させることに必死だが。


どこかで読んだ話だが、瞑想している禅僧は何度同じ音で驚かせても慣れることなく、脳波的に初回同様に驚くのだそうだ。
つまり、子どもの丸さは私に悟りを開かせるほど、真に丸いということではなかろうか。これぞまさしく丸イデアの体現者。
そう考えると有り難みすら感じるな。おお、後光が!(朝日です)


よく可愛らしいのは今だけと言われる。喋るようになると大変らしい。
個人的には早くボドゲができるようになって欲しくて仕方ないのだが、世間一般ではそうでもないらしい。
意思疎通のメリットと自由意志のデメリットを秤にかけると、まあそうなるだろうなと思う。相手には常識も失うものもないし。


ならば、何を失うかを教えてあげれば良いのではないだろうか。
神ならぬ我が身には無償の愛なんて備わっていない。無償に見えるかもしれないが、これは有償なのだとしっかり伝えれば良いのでは?
現在は恋愛市場主義がまかり通っているようだし。


ただし、この丸い寝顔に値札をつけられるならだが。
本人はタダだと言うに違いないけれど(後光を出しつつ)