私のものじゃない私

子どもが生まれたらもう自分ひとりの体ではない、とよく言われる。
が、正直その実感はない。きっと家人には怒られるのだろうけれど、残念ながら未だピコーンときてない。


しかし、だからといって自分勝手に遊び呆けているわけではない。
特に命は大事にしているつもりだ。お酒もタバコものまないし。
子どもに合わせてると規則正しく早寝早起きが習慣になって、十時過ぎたら眠たくて仕方ないくらいだ。


だからこそ、意識が変わらないのかもしれない。
ある程度大事にして生きてきているから、これ以上大事にしようがないと感じているのかも。もっと粗雑に扱っておけば良かった。
そうすれば意識が変わったことを実感できたのに。


自分が無理をすると周りが気をつかうとわかっていても、自分がやらなきゃと思い込んだ時には突き進んでしまう。
もちろん死ぬようなことはないのだが、仮に死ぬ可能性があった場合にきちんと止まれるかどうかがわからない。


子どもができたら体が半分透明になればよいのだ。
滅私の心とはそういうことだろう?
私のものじゃないのならわざわざ私にくっついている必要はないのだ。
そうすれば、嫌でも実感できただろうに。


ただ、子どもは私を半分あげると言われても困ってしまうだろうな。
だって、子どもは私の全部が必要なのだから。