伝えるということ

子どもと話をしていると常識が通じなくて楽しい。
常識というより、言語のルールかな。


私たちは基本的に事物と名称が一対一だと認識している。
うさぎは兎だし、かえるは蛙だ。
だけど、うちの子はどっちを見ても、うさぎのベビーサインをする。
跳ねるという意味で使用しているのかとも思うが、ジャンプするとかバッタとかには使わない。
また、両方とも実物は見たことがない。
跳ねるというイメージすらないのではないだろうか。
不思議だ。


近頃はとにかく大声で呼ぶ。
家人と一緒に店に言っても、どこにいるかすぐにわかるくらいだ。
親を認識できればすぐにそうなってもおかしくないのに、大声を出し始めたのはつい最近。特にベビーサインの数が増えてからのことだ。


おそらくだけれど、それまでは伝えるという概念自体がなかったのじゃないか。
うまいこと言えないが、泣いたりするのは単に自分の状況に対しての感想で、こうして欲しいという合図じゃない。
お乳のサインだって、それをすれば貰えるという芸でしかなかった。


今は伝わることが嬉しいから、ほんとになんでもないことでも大きな声で報告してくれる。
確かにうるさくはなった。けど、それまでは相手にされてなかったことを思えば、許してやろうという気になるかもしれないし、ならないかもしれないし、ならない。


こうやって一度伝わるヨロコビを知ってしまうと、もうそれ以前には戻れないのだろう。
引っ張り出した親の責任は重いな。


しかし、いくら伝える能力を磨こうと、どうにもならないことは存在する。
今日家人に「ぽりんとう食べる?」と尋ねられた。
かりんとう」が正解だと思ったら大間違いで、実際机の上に出てきたのは「ポン菓子」だった。
まあ、頭文字は合ってるけど・・・・・・。
今後は子どもの教育上ルール違反としてしつこく訴えていきたいし、どんどん吊るし上げていきたい(現在も背中を叩かれつつ)