子育てのメリット

まあ、そんなものあるはずがないと思っていたのだが、最近宗旨替えしようかと思っていたりする。
理由は「愛」だったりする。


ここでいう「愛」は『プラネテス』や『ヴィンランドサガ』でいう「愛」だったりするので注意が必要だ。
まあまあの愛読者であると思っていたが、幸村誠の言う「愛」ってものが実は今まで良くわかっていなかった。
タナベや神父がアイアイ言う度に白けていたものだった。そんなものこの世には存在しない、物語に要請された綺麗事だ、と。


ただ、最近ふと思ったのだ。
我が子が私に与えてくれるものこそが「愛」ではないのかと。
はっきり言って何の役にもたちはしない。守ってくれないどころか、色々なものを奪い取っていくくらいだ。無くても生きていくには何の支障もない。
しかし、私に向けられるこの透明のなんだか暖かいものが、生きる実感を向上させているのは事実だ(≠生きがい)


私のレベルでは言葉にした瞬間に陳腐になってしまうのが情けない。
一つ断言できることは、私は生きていても良いんだ、と今までで一番感じているということだ。
しゃべりもしない子供に私は赦されている、というと笑うだろうか。
少なくとも私には自分の子供から与えられているほど、愛情を与られていないという情けない実感がある。


多分、だから、子供が独り立ちするまでに長い時間が与えられているのだろう。
二十年くらいはないと与えてもらったものすら返しきれない。
それくらい愛情の質の差を感じる今日この頃であった。