適切な加減

特にロボットでそうだが、加減と言うものは本当に難しい。
適当な位置にある適当なものを適当な強さで掴むという日常的なことが本当に至難。
卵を掴むというのはE難度の技である。
私たちが無意識でできる事というのは案外高度な技術の集大成であることが多い。


つまり、子供にも難しいということだ。
今は掴み続けるのも無理だし、距離感もおかしい。むしろ目的すら持っていない。
遊ばれることはできても、自発的に遊ぶというのはまだまだ先のことだ。
私だってこの頃の記憶なんてないから、どうやって学習していったかが判らない。
ということは適切に教えられないということ。
まあ、別に教える必要はないのだけれど、教えられないというのは一人の大人として悔しい。「できる」と「教えることができる」には越えられない壁があるような気もするが・・・・・・。


そういえば、教えるということは無意識にはできない。
ということは適当な加減で教えることができていないということか。
親は無くとも子が育つくらい無意識で教えられたらと思う。