何時でも、何度でも

とにかく子どもは繰り返しが好きだ。
何度同じ絵本を読んでも、同じところで何度だって笑う。
むしろ、昨日笑わなかったところでも、今日は初めて見たかのように反応するくらいだ。
こいつらの感性は、吉本的な予定調和を是として構築されているのだろうか。
もしかすると、代わりばえのしない日常を乗り切るための防衛機制なのだろうか。
しかし、そのわりには新しいものに対する興味も高い。
本来ならば、新奇なものは危険なはずなのに。


適応、という言葉が思い浮かぶ。
人類と言う幹を残すためのトライアンドエラー
本来であればそのために何度も失わねばならない。
だが、それを一代で完遂するとしたらどうすればよいだろうか。


私は失敗を待たれているのだろうか。
その眼差しからは何も読み取れない。