人が居ると落ち着く理由

子どもにとって世界は広い。
いや、大人にとっても広いのは広いのだろうけれど、さすがに6畳間程度で無限の広がりを感じたりはしない。
しかし、自力での移動手段を持たない我が子にとっては、その6畳間がまさに無限の砂漠であるかに思えることだろう。
そして、いないいないばあを楽しめる月齢にない我が子にとって、見えないということは無いということなのだ。声がしようと、同じ部屋にいようと。
おそらくそれは根源的な恐怖として刻まれるに違いない。
くわえる乳もなく、おなかをさすってくれる手もない。
あたりまえのようにあったものが、気付いたら失われているという恐怖。
本人は恐怖と理解しているとは思えない。単に不都合だな、と思っているだけかもしれない。だが、それでも何度も繰り返せば、一人を、孤独を恐れるようにはならないだろうか。
未成熟で生まれるがゆえに、私たちは孤独に恐怖を刷り込まれる。
それは一人で生きていけるようになってもなかなか抜けない。
別に孤独を好めと思っている訳ではない。ただ、孤独はそんなに怖いものじゃないと思っているだけだ。


三つ子の魂 百まで


その孤独は、魂が覚えている。
私はどれくらい、我が子に恐怖を刷り込むのだろう。
願わくば、苦笑をもって孤独を愛せるくらいの人間になって欲しい。